Diary/2005-12-27
ネギま!千雨コラム準備編
とりあえずメモの内用整理。
千雨と他キャラの比較
- のどかは、良くも悪くもネギのいいところしか見てない。
- 茶々丸は、ネギの見栄えのいいところしか見てない。おこちゃまだから。
- 明日菜は、目に付くところしか見てない。
- 千雨は、ネギをかなり客観的に見ている。だから立ち入った事情をほとんど知らないわりには真相に近いところを突いてる。
ネギの子供らしからぬ執念についての評価は、
- 五月は、年齢相応の努力についてしか評価しない。逆に力及ばないのは仕方ないという考え方。
- 千雨は、ネギの精一杯の背伸びを「男」の「本気」として見る。ゆえに要求基準は「男」のそれになる。
であるからして、ネギの子供っぽい面に対する見方は
- あやか→元気で健気で素直で一生懸命でカワイイ!
- 茶々丸→ポワワ
- 千雨→ガキ。ウゼェ
となる。
ネギまはハーレム漫画だが、『ラブひな』と比較すると主人公の「モテ」がより合理化される傾向がある。つまりネギは、
- 美形であり
- 才能家であり
- 何より子供である。
ゆえに、ネギまのヒロインはネギに対する基本スタンスが「お姉さん」である。千雨は、タカミチに対する敬意のカケラもない態度からも知れるように、年齢そのものにさほど拘らないタイプだと考えられる。(しかしコドモでもいいというわけではない。)千雨はネギに対して一貫してお姉さんぶった態度を取らない例外的なキャラクターである。茶々丸もそうなのだが、彼女の場合は単に精神年齢が低いだけっぽい。
ネギと小太郎の関係に気遣いを見せることからも、千雨のネギに対するスタンスは「年上の女友達」的なものだと考えられる。
※なので、千雨と茶々丸は一面においては近いが、本質的にはかなり違う。ネギに求めるものが全く噛み合わないからだ。
千雨と小太郎は話が合うのか?
ネギと小太郎は「格闘技友達」であり、実際として「強さ」を媒介とした関係であるといえる。
ゆえに、小太郎にとっての「強さ」は己の価値観そのものであると同時に、ネギとの関係を保障するものでもある。
オレ・・・・戦うしか能ないのに・・
もちろんそれはそれでちょっと不健全なので、非戦闘員の千鶴と未だ格上の実力を持つ楓が「強さ」以外の条件でもって小太郎を受け入れることになる。
が、それが「強さ」を奉じる(そしてそれ自体はヘルマンが言ったようにわりと健全)小太郎にとってどうかというと……
- アスナらは平和な世界の女子中学生的価値観しか持たないため、それを提示するに留まる。
- 夕映も、自覚している通り、論破しちゃったんじゃあ結局価値観の押し付けであることには変わりない。
- 千鶴は基本的に全肯定スタンスだが、それは小太郎が子供だからであって、小太郎が強くなることには一切価値を見出さない、と思う。
男同士の戦いに いじめも やりすぎもねえ
ただ本気なだけだ
・・ったく 男だったら フツー その辺は阿吽の呼吸で わかんだろーが! ダメダメだな テメーは
いくら強くても
ま 今は試合 がんばんなよ 先生
あんたには 何か目標が あんだろ?
と、千雨は基本的に「強さ」に価値を見出していないばかりか、ネギの「目標」が何であるかということも興味を示さないにもかかわらず、その「本気」を理解し、影ながら協力しようとさえする。相容れないポリシーに対しても、その「本気」に関する限り一定の敬意を払うわけだ。
これは明日菜あたりとは正反対のスタンスで、かなり特異なものだろう。つーか朝倉(魔法&過去バレ組!)の反応が普通なんであって、こりゃ友達いないのも当然っつー話。
続きます。