Diary/2006-01-22
今更ねこねこソフト最後の作品話
ようやく考えがまとまってきたかな。
元々俺はねこねこソフトというよりはシナリオライターとしての片岡とも氏のファンである面が強く、またよく言われるところのねこねこ的な営業姿勢にも全面的な賛同はしかねるものである。正直言って、「売れ線を狙わない」こと自体が美徳のように語られることには違和感があった。組織の哲学として疑問を覚えることも多々あった。
だからこの結末は必然とも思う。
しかしそういうところも含めて、俺のエロゲー人生の中で、肯定的にも否定的にも、最も多くの思索を傾けたメーカーがねこねこソフトだった。今でもノベル系エロゲーのオールタイムベストは『銀色』だ。今までプレイした他のどの作品も、越えていないし、俺自身、未だ乗り越えられていないという思いがある。
つまるところ、ねこねこソフトというメーカーは、俺にとっての宿敵であり、大仰な言い方をするなら哲学上の壁だったのだ。それは作品の絶対的評価を超えたところに存在する。全作品を一通りプレイしたわけでもなく、お世辞にも良いファンとはいえないが、少なくとも俺にとってのねこねこソフトとはそういう存在だった。
人生はいつだって問答無用。
先立たれるということは、抽象的な意味でも、ままあるものなのだ。一度は学習したはずだったが、人間そう簡単には反省しないものらしい。
しかし、仮にメーカーが死んだとしても、作品は残る。プレイヤーもまた、残る。
残された者は、先を見ることができる。
いつか踏み出していこうという気持ちがある。築かれた道の、途切れた進路の、まだ進むことができるその「先」へ。ねこねこソフトのその先へ。自分の持てるやりかたで。
アリガトウもサヨウナラも言う立場にない。ただ、自分に「先」を誓おう。
彼らが刻んだ相合傘に追い付いて、初めて踏み出せる一歩がある。
俺にとって、ねこねこソフトはつまりそういう存在なのだ。