Diary/2006-07-18
主人公の心情
ヒロイン選択型のエロゲーにおいて、主人公があるヒロインに抱く好意は、プレイの結果でしかない。
そのように操作したのだから、当然そうなる。それでは感動することはできない。
主人公からヒロインへの好意にカタルシスを得るには、主人公をプレイヤーが操作しているという事実が最大の障壁となる。プレイヤーキャラクター(PC)であることが問題なのである。
逆に言えば、物語の主役であることや、視点人物であることや、絵や声がないことは、主人公キャラクターへの感情移入を妨げる要因とはならない。
「主人公」についての思考を整理するため、『陵辱ファミレス 調教メニュー』について考察する。
この作品は三人称視点で描かれているが、主たる視点人物はメインヒロイン・紗耶香である。また、物語の主人公は、紗耶香だと考えるのが適切であろう。
問題はPCである。本作は基本的に調教メニューを選択することによってゲームが進行する。選択肢を選んでいるPCは、ED直前の選択肢を除き存在自体が自明でないが、黒木であるとはいえるだろう。また、物語のレベルにおいて、「紗耶香をエッチな女の子にしたい」というプレイヤーの欲望に最も同調しているキャラクターも黒木である。
つまり、PCと主人公が別個に存在しているのである。PC黒木によって陵辱調教モノとしての――ヒロインを能動的に犯すゲーム性を、主人公紗耶香によってヒロインへの明確な感情移入を、それぞれ可能にしている。
『汚された夏』がエロゲーとして『陵辱ファミレス』に劣るのは、PCをヒロインに設定してしまっている点だといえようか。いわば汚夏はヒロインの自滅の物語なのである。それはそれでエロいが。
- 物語の主人公
- 物語の視点人物(語り手)
- ゲームのプレイヤーキャラクター
これらは全て別個の概念であることに留意せねばならない。