Diary/2006-08-25
『School Days』アニメ化は成功するのか?
今回はいつも通りわかりにくいぜ!
放送コードとか表現規制とかの問題(あんなドス黒い話をテレビアニメでやれるのか? ていうかエロ必須だろう)は誰が見ても明らかなので、あえて違う観点からアニメ化の障害を語ってみようと思う。
単純に、ゲームをアニメ化するという問題である。
スクデイの核が三角関係の描写にあることは既に述べた。では、三角関係の描写をゲーム媒体でやることのメリットはなんだろうか。それは、恋の綱引きそのものを表現できるという点にある。
画面上部のゲージが「綱引き」の直接的な表現であることは疑いないし、「言葉寄りルートから、世界寄りルートにも分岐できる」ことは、スクデイの明らかな特色である。綱引きの醍醐味は一進一退の攻防にある。これは、あるヒロインのルートに入ったが最後、他のヒロインのルートに「引き戻される」ことのない、一般的なエロゲーにおいては表現することが難しい。[1]
何より決定的に重要なのは、この「綱引き」の勝敗がプレイヤーによって変動しうることである。これはインタラクティブなメディアであるゲームだからこそできる表現だ。例えば、TVアニメ版『君が望む永遠』における遙と水月の「綱引き」の結果は、いかにそれらしい描写をしたところでどこまでも決定されている。「遙ルートもありうるが、しかし水月ルートもありうる」という、ゲーム版にあったシュレディンガーの猫的な不確定性は全く、失われているのだ。そこには事実だけがあり、可能性は存在しない。そして、数ある可能性のひとつだからこそ存在を許された爆笑もののエンディング(緑色の悪魔!)も、存在しない。[2]
つまり、原作未プレイ組のTVアニメ『School Days』視聴者は、原作にある極悪な展開の数々を「あるかもしれない」と想像することはあっても、それが本当に「ありうる」ということは知りえない。言葉と世界のどちらも選びうるということは知りえない。本当に清浦とエッチできることは知りえない。どころか、清浦がメインヒロインな世界観があることも知りえないだろう。これらは全てエロゲーのメディアミックスにつきまとう問題だが、ある特定のエンディングに対してすら複数の「過程」がありうるスクデイにおいてはより顕在化しやすいだろう。
TVアニメ版が言葉EDになるか世界EDになるか、あるいはハーレムEDになるのか現時点ではわからないが、それが唯一の結末だなどという誤解は厳に謹んで欲しいものである。
- [1]『君が望む永遠』では、「引き戻される」展開は遙ルートの最後のほうにちょろっとあるだけのようだ。かように、君望は三角関係を描いた作品とは言いがたいのである。
- [2]考えてみれば、君望以降のageはずっと「ありうるアナザーな可能性」を描いた作品ばかりを作り続けているような気がする。あるいはそれが君望とマブラヴの共通テーマ?
『プリンセスうぃっちぃず』のエラいところ
いろいろある。が、ここでひとつ挙げるとするなら、三角関係におけるヒロイン同士の闘争に主人公が絡んでる点。いずれか一方に加勢するという形ではあるが。これはね、あんまり記憶にないね……浅学にして……。『月姫』くらいかな……。
以下プリっちと月姫ネタバレ。
まだ途中なんで当てずっぽうなこと言ってるんだけども、アスラーナはたぶんソルも斬れるんじゃないかな……。斬れるべきなんだけどね。どうかな……。代理戦争っていうのはわりと有効なモチーフだしね。月姫琥珀ルートでも、実は超能力者VS妖怪の構図だったしね。そこでの主人公の両義性は大事だと思う。