Diary/2007-02-08
リリカルなのはの評価を再考した由。
無印→A’s→StrikerSの流れをよく見てよく考えたら、これって無印からずっと家族の話だったのじゃないかしらん……?
なのはとフェイトの友情ってのは、あくまでもお互いの家庭が正常に機能していることを前提としたものであって、究極的には家族の話。そのような価値観を根底においたストーリーテリングがなされていると考えると、だいぶ納得できることが多い。
家族として云々ではなく、アリシアへの「個人的な愛情」を基盤として行動するプレシアが一顧だにされず完全否定されるのに対して、リンディの母親あるいは艦長としての共同体論理がほとんど無批判といっていいほど肯定的に描かれるのは極めて象徴的な話で、『なのは』シリーズ全体に共同体論理が貫かれている。
リンディは、ある個人と良好な関係を築くためには、まずその属する共同体との関係を良好に保つ必要がある……というかそれだけで充分だと考えているフシがある。
例えば、フェイトの取り扱いについて明らかに方向性の違いがあるなのはと積極的に話し合おうとはせず、それよりもなのはの家庭と学校での生活のケアに気を遣い、母親にはキッチリ話を通そうとする。重大な確執があるはずのフェイトの心情には特に配慮せず、それよりも家族としての関係を結ぼうとする。そして、結果として二人とも時空管理局に取り込むことに成功する。
なのはとフェイトの友人関係は、「高町家」と「ハラオウン家」という正常な家庭があって初めて成立する。なのは・アリサ・すずかの関係がいかにも小学生的な家単位での交流であることからソッコーで思い至るべきだったが、無印であまりになのはとフェイトの個人間の関係が強調されていたので見誤ってしまったようだ。
ヴォルケンリッターとなのはらの間に何らわだかまりが残らないのも当然で、共同体同士が手打ちになったら争う理由がないのだ。ていうか、そもそも何の対立も発生してなかった。相変わらず。