Diary/2005-09-27
はぴねす!体験版
いや実際準だよこれは。ポテンシャルが違うよね。つーか会話してるだけでおっきくなってる俺がおかしいのか? 正直準とママさえ攻略できればあとはどうでも……あれ、つまりどうでもいいってことか?
アウトニア王国人類戦記録 でたまか 群青黎明篇
委 員 長
『ラムネ』真・ひかりルート構想妄想
ねこねこソフトの空への視線で書いたことをもう少しまとめてみる。
『みずいろ』は当時考えられていたいわゆるエロゲーフォーマットに極めて忠実な作品だ。ふつうのギャルゲーを目指してとある通り、そのことは公言されている。目指すようなものではないので行き過ぎてるくらいだ。そのひとつの表れとして序章で完全にシナリオを分岐させるシステムを取っているせいもあって、シナリオ相互の独立性が高い。極めてエロゲー的に。清香ルートは清香の話であって、進藤はぜんぜん関係ない。で、例外が日和と雪希の関係だ。
雪希ルートでは雪希と日和は三角関係にある。雪希と進藤が友達であるとか、そういう物語の展開上何の意味も持たないものを除けば唯一のヒロイン相互関係といえる。(健二と雪希の思い出が重要な意味を持たされている点といい、ラムネの方向性に近いものも感じる。)もちろん物語にも日和は密接に関係してくる。ま、結局はフラれるわけだが、じゃあ逆に日和ルートはどうなんよというと、もう思いっきり他ルートと断絶している。いや、ネタ的にどうこういうのもあるんだけど、だって雪希が完全に脇役だもんね。雪希ルートで健二が日和をほとんど省みない以上、そこで三角関係はスパッと断ち切られてしまう。そゆ意味で、『みずいろ』におけるヒロインの相互関係というものは未完成のまま破綻してしまっていると俺は考える。手を繋いで一緒に空を見上げるのが『みずいろ』のイメージに相応しい。
みずいろからラムネの変化を考えたとき、俺がプレイ前に想定していたのは「場」だった。主人公と、七海とひかり、幼なじみが3人いれば「場」を作れる。面積が存在できる。主人公を中心に四方八方に線が伸びる構図の打破を期待した。
ひかりルートでは3人一緒の思い出が物語の重要なモチーフとして取り上げられている。Report/対談第三回「ねこねこソフト対談2―ラムネを語る」 で取り上げた通り、異邦人にして幼なじみであり、健次の一番近くにいる七海と肩を並べて3人の場を形成できる唯一のキャラクターであるひかりは、長年かけて築き上げられた人間関係を浮き彫りにするには絶対必要なキーパーソンだ。
ひかりは、固着した人間関係に変化をもたらせる。基本的には七海ルートで佐倉が担った(あるいは、ひかりルートでひかりが担おうとした)役割だが、ひかりの異邦人属性がこの役割をスムーズに行わせる。というか、都会の人間が田舎の若者に恋愛をもたらすと考えれば、けっこうベタなパターンだったりする。それに、ひかりの健次との付き合いは本来誰より長い。
恋愛関係以外の意味もある。アクティブで図々しい性格のひかりは遊びの輪の中心になれる。普段のグルーピングを破壊できる。ひかりに連れ回されてトロピカルジュース飲んでる鈴夏なんか典型で、あれはひかりに引き出された新しい顔であるはずだ。
つまるところ、ひかりがもたらすのは周囲のキャラクター再認識と再解釈。そう考えると、ひかりルートの最大の問題点は七海の再認識に至っていないこと、ということになる。健次から七海への思いも、その逆も、二人の間に積み上げられてきたものも、描かれていないからだ。そして七海ルートで当て馬としてフィーチャーされるのはなぜか佐倉。なんでやねんな! ラムネの力学の上で七海に比肩しうるものを持たない佐倉では七海の牙城は小揺るぎもせず、二人の関係の再認識も再解釈も起こらない。ねこねこソフト作品において恋愛感情そのものにはあまり価値がない。
いきなり言い切ってしまってから思ったが、ひかりルートのクライマックスがあーゆー感じなのって一種の逃げじゃないかな。ひかりと七海、どっちが好き?ってのが言うまでもなく一番大事なこっちゃなかろうか。トラウマ解消劇がクセになってるだけかもしれないが……いや、それだったらそれでやり方はいくらでもある。というか、構図はそうなってるのにフォーカスがずれてる。ひかりの固執の理由に踏み込みきれてない……七海側の描写が足りないのと結局同じことなんだが。
うーむ、言いっ放しだけど、ラムネのポテンシャルを引き出すのに必要なものは見えてきたような……。