Diary/2007-04-11
小説家の綾守竜樹さんが亡くなられたそうです。
アマチュア時代からのファンでした。これで神招姫シリーズの完結はなくなってしまったのか……。
ご冥福をお祈りいたします。……っていう気分でもねえな。エロ小説家への礼儀として、悶々としながら一発抜かせていただくことにする。
小説家の綾守竜樹さんが亡くなられたそうです。
アマチュア時代からのファンでした。これで神招姫シリーズの完結はなくなってしまったのか……。
ご冥福をお祈りいたします。……っていう気分でもねえな。エロ小説家への礼儀として、悶々としながら一発抜かせていただくことにする。
究極、と表現して差し支えなさそうな超絶動画。
例えるなら153kmの速球、それが全部低めいっぱいに決まる感覚。抑制的な画面作りと力こぶな動画枚数の両立。既存の動画技術の枠を一歩たりとも出ることなく、従って快感原則を遵守する、どこにも引っかかりのない「滑らかな」アニメーション。余分な刺激を全く加えず、それゆえに緊張感が切れることのない24分間。完璧なコンテ、完璧な原画、完璧な動画。
動きを魅せるためではなく、あくまでも動きで語るための動画。
もはや動きそのものが語りとして意味を持ち得てしまっている。つまり、ミュートで観てもわけがわかってしまう。一発目観たときは4人でギャーギャー騒ぎながらでろくすっぽ台詞も聞こえちゃいなかったんだが、誰も巻き戻しを要求しなかった。それで充分わかったからだ。後でちゃんと台詞聞いてもそんなに新しい発見がないのは、単純に開示されてる情報量が少ないせいも、キャスティングがなんかいまいちピンときてないせいもあるが、何より動画の説得力が強すぎる。
原作がどうの声優がどうのと言っとる場合ではない。このアニメーションは凄過ぎる。
風邪で伏せってます……が、とりあえず反応。
Fate=少女漫画、というところまでは直ちに同意はしかねますが、「理解型の救済」というのには同意します。
愛≠救済かつ理解=救済、というパラダイムについてはToHeart2 X-RATED:姫百合姉妹2―三宅章介と恋愛ゲーで述べました。愛だけでは救済に繋がらないのみならず、愛がむしろ人を追い詰める、というのがこれらの物語の特徴です。キャラクターが救済されるために、理解が必要とされます。
で、「理解型の救済」というところから話を発展させるんですが、まず、Fateにおける「理解による救済」は基本的に主人公とヒロインの間で行われています。当たり前ですが。ちなみに、アーチャーはヒロインに含みます(『Fate/stay night』における主人公とヒロインの対立)。
そしてそうであるから、上のリンク先にも書きましたが、モメているのは主人公とヒロインです。主人公と敵キャラではありません。
少年漫画の基本的な作法に、なぜリリカルなのはは少年漫画ではないのかで書きましたが、要すれば「ケンカして勝った奴が正しい」というのがあります。言い争いのゲンコによる解決です。「正義は勝つ」とも言います。もっと簡単に言うと、良い奴と悪い奴がケンカして、良い奴が勝つことによってその正しさが保証されるというのが、少年漫画の基本的な、極言すれば必須のパターンです。
そして、このパターンは、Fateにはほとんど出てきません。思想的対立を含まないただの殺し合いや殺し愛は、少年漫画的男と男の勝負とは異なります。はっきりそうと言えるのはセイバールートのラストバトルくらいのもんでしょうか。それ以外のモメ事は、概ね、痴話喧嘩の類です。アーチャー戦も同じく。ありゃバトルシーンじゃなくてエロシーンだ、と言ったらさすがにわけわかめですが、あのあと士郎は凛によって生き方を矯正されてしまうわけですよ、勝ったのに。それを考えたら少年漫画の文脈をそのまま当てはめるのはアホらしい。
例えばセイバールートでは、正義の味方士郎と悪の親玉言峰の対決は重要なポイントとは到底言えません。むしろ重要なのは士郎とセイバーの対立です。ここにおいて、正義と悪の対決は士郎一人の物語でしかない。語られるべきは士郎とセイバー、二人の物語でしょう。二人が互いを理解し合うまでの摩擦と、導き出される一つの答え。これが、セイバーの鞘発言のシーンまで、シナリオのほとんどを費やして語られている。そこから先はまあ、ミステリの解答編みたいなもんですな。一番イイところだけど、物語的に意味はない。
いやほんと、軽々しく少年漫画って言うべきじゃないと思いますよ。
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