Diary/2005-10-25
『CROSS†CHANNEL』の話(4)
crow_henmiさんへ
そろそろ話題も出尽くしてきましたかね?
基本的にはうんうんと頷きながら読むばかりなんですが……田中ロミオがいかにしてプレイヤー側の欲望をコントロールし、自らが望むエンディングに誘導することに成功したかというのは、エロゲーを駆動する感情的エンジンの仕組みを考えるになかなか面白い題材ですね。
黒須太一はエロゲーの主人公としては珍しい、「自我の強い」タイプの主人公です。特に純愛系ゲームの主人公においては、あえて個性を薄めることでプレイヤーの感情移入を容易にすることがしばしばあるわけですが、太一は個性は強いし背景設定も強烈な「キャラクター」です。その上特徴的なシナリオ構造がプレイヤー=(ユニークな)主人公という見立てを破壊するように働いています。それでいて常に太一の一人称を崩さないというのはAVGとしては特異といえるのではないでしょうか。
発売前までは普通の学園モノを擬態していたこの作品は、「学園青春AVG」を期待するプレイヤーの希望=意思を徹底的に蹴っ飛ばします。しかし、プレイヤーは物語の内容・テーマと連動したシナリオ構造によって巧妙に「欲望」をコントロールされ、阻害されたはずの感情移入を別の形で導入され、いつの間にか田中ロミオが用意した主人公の「欲望」に同調して唯一のエンディングに向かってひた走ることになる。主人公の意思がプレイヤーの意思に同期するのが本来のAVGのあり方ですが、ここではその構図が半ば逆転しています。太一が仲間たちを送還する決意を固めた後、ざーとらしく選択肢が出てくるのにロミオの意地悪い魂胆を感じるのは邪推のしすぎですかね?
このような観点で、「物語上存在する多数のルートを、ゲーム上観測できない」ことの意味を考えると、故意に全可能性コンプリートへの道を閉ざすことで、オールクリアへの欲望をトゥルーエンドへの欲望にすりかえているように見えないこともないような。あっ、まさか無限ループバグが仕込まれていたのもロミオの罠!? あれは俺たちに「もうループはごめんだ」と思わせるためだったんだよ! な、なんだtt(ry
なんにせよ、これは内的テーマを伝えるためのストーリーテリングの手法としても優れていますし、エロゲーを駆動する「欲望」がいつしかゲームの目的とかけ離れたために起こっている、プレイヤーとクリエイターの「欲望」の相克へのソリューションとしても興味深いものだと思います。
tdaidoujiさんへ
こちらもほぼ認識の相違の範疇に落ち着きつつあるだろうか。
ナンパゲーから現在のノベルゲーに至るまでに言われるような欲望の遷移があったのは事実でしょう。ただ、……このへんの作品はまた全然プレイしてないんでアレですが、エルフ全盛時代には『EVE』やら『河原崎』やら『野々村病院』やら『YUNO』やら、作品全体としてひとつのストーリーの成す形式のシナリオゲームがたくさんあったわけで。アリスは純粋ノベルに近い作品を作ってたし、1人かそれに近い小数のヒロインを調教育成する作品も多かった。未だにマルチシナリオ形式が圧倒的な主流を握っている事実を単に偶発的な葉鍵ブームからの惰性として説明することは可能でしょうが、俺はそれがプレイヤーの欲求に合致しているがゆえに生き残っているという見方を取りたい。法律というならお客サマの要求こそそれでしょう。まあニワトリタマゴな話ですが、いずれにせよマルチシナリオゲームで多様な可能性への欲望が満たされるのは自然かと。
エロゲーのノベル形式隆盛までの流れとして、ナンパな関係じゃなく純愛な関係になりたい、恋愛よりも女の子の抱えるストーリーが読みたい、女の子と結ばれるのはどうでもいいからストーリーが読みたい、と欲望の方向性が徐々にズレていったという経緯がある。『C†C』は最後のあたりにフィットしてると想像するけれど、違うの?
C†Cは、「ヒロイン攻略型の物語」。そしてループは「パラレル攻略の矛盾への解決策の一つ」。ロミオ本人が言ってることをあえて無視するこたぁないんじゃないかと。もちろんC†Cが古典的ナンパゲーからも萌えゲーからも遠いのは当然なんだけど、その「ストーリー」の内容自体「女の子と結ばれる」ことに深く関係しているわけでしてね。
ええとあと錯視とか顔月とかの話は「エロシーンの出るほうへ進めメソッド」が絶対ではないってことを言いたかっただけです。ついでにCARNELIANは顔月のスタッフコメントで「純和風の黒髪美少女のえろえろがたくさん見れるゲームを!!」とか「Hシーンが豊富でそれがストーリーやキャラにかみあった作品にしよう!」とか言ってます。構造ではなくモチベーションを問題にするなら顔月はいろんなエッチが楽しめるゲームです。
ユニークな主人公が別のとこで遊んでる間にユニークな冬子は死にますけどね。まあ1週間の最後にほぼ必ず全滅するんだし早いか遅いかの差ですけど、そういう「どうせ死ぬんだし」設定を用意することで「プレイヤーの選択により死ぬ冬子」への罪の意識を希釈しているという解釈は無しですか。
これはミキミキの言う「どのように行動しても殆どの場合が全員死亡という結末にたどり着く」でしょうか。それはあくまで確率論であって、むしろ太一の行動次第で全滅を避けうるという事実を示していると思うけど、まあどうせリセットかかるから関係ないですね。それについては、何をしても月曜日にはリセットされるやりたい放題の楽園をして太一が「地獄だ」と言ったことが答えになると思いますが。「誰かを救えば誰かを見捨てる」誤謬は「誰も救えない」絶望に昇華されています。
そこから先は未だ俺の問題意識の追いつかない領域の話なんでアレですが、ことC†Cについては、当の田中ロミオの発言を見る限り、「一人しか選べない」という問題意識に基いて作られていることは間違いないと思いますよ。
あと、重箱の隅というか私見というかカウンターとしては、太一が人殺しだから群青学園に入れられてるのかは微妙。あの世界には適応指数テストが存在するわけで。月姫でプレイヤーの選択の結果ヒロインを殺すのは全部バッドエンド。琥珀さんすらマトモなEDでは必ず生き残る。ひぐらしで圭ちゃんは殺されっぱなしでは? まだ祟殺しの途中ですが。