あけてました。
KIKIの すごい Ver.Up
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仕事中に、
「大晦日には2005年総まくりラジオをやるべきじゃないのか? 当然生で。エロゲ漫画ラノベ各1時間くらいって長ぇー! それ長ぇー!」
というようなことを思いついていてもたってもいられなくなった。
そんなわけで、明日残業がなければなんかやる、かも。どっちみち超ぶっつけだけど。
メロンブックスが閉まる前にバイトあがれないのでまだ買ってないのだが、なにやらWeb上の情報を見るに極めてイヤすぎる印象が浮かび上がってくるのであり、未知の新刊1冊より『電波的な彼女』シリーズのほうが俺には万倍大切なので読まないで済まそうかなあと思い始めた。でも俺が読もうが読むまいが公式設定的に「そうなっている」のはもはや覆しようがなく、ゆえにきちんと読んだ上でキレるべきなのだろうたぶん。ううう、俺の幸福な読書体験を返せ、返せよう。
とりあえずメモの内用整理。
- のどかは、良くも悪くもネギのいいところしか見てない。
- 茶々丸は、ネギの見栄えのいいところしか見てない。おこちゃまだから。
- 明日菜は、目に付くところしか見てない。
- 千雨は、ネギをかなり客観的に見ている。だから立ち入った事情をほとんど知らないわりには真相に近いところを突いてる。
ネギの子供らしからぬ執念についての評価は、
- 五月は、年齢相応の努力についてしか評価しない。逆に力及ばないのは仕方ないという考え方。
- 千雨は、ネギの精一杯の背伸びを「男」の「本気」として見る。ゆえに要求基準は「男」のそれになる。
であるからして、ネギの子供っぽい面に対する見方は
- あやか→元気で健気で素直で一生懸命でカワイイ!
- 茶々丸→ポワワ
- 千雨→ガキ。ウゼェ
となる。
ネギまはハーレム漫画だが、『ラブひな』と比較すると主人公の「モテ」がより合理化される傾向がある。つまりネギは、
ゆえに、ネギまのヒロインはネギに対する基本スタンスが「お姉さん」である。千雨は、タカミチに対する敬意のカケラもない態度からも知れるように、年齢そのものにさほど拘らないタイプだと考えられる。(しかしコドモでもいいというわけではない。)千雨はネギに対して一貫してお姉さんぶった態度を取らない例外的なキャラクターである。茶々丸もそうなのだが、彼女の場合は単に精神年齢が低いだけっぽい。
ネギと小太郎の関係に気遣いを見せることからも、千雨のネギに対するスタンスは「年上の女友達」的なものだと考えられる。
※なので、千雨と茶々丸は一面においては近いが、本質的にはかなり違う。ネギに求めるものが全く噛み合わないからだ。
ネギと小太郎は「格闘技友達」であり、実際として「強さ」を媒介とした関係であるといえる。
ゆえに、小太郎にとっての「強さ」は己の価値観そのものであると同時に、ネギとの関係を保障するものでもある。
オレ・・・・戦うしか能ないのに・・
もちろんそれはそれでちょっと不健全なので、非戦闘員の千鶴と未だ格上の実力を持つ楓が「強さ」以外の条件でもって小太郎を受け入れることになる。
が、それが「強さ」を奉じる(そしてそれ自体はヘルマンが言ったようにわりと健全)小太郎にとってどうかというと……
- アスナらは平和な世界の女子中学生的価値観しか持たないため、それを提示するに留まる。
- 夕映も、自覚している通り、論破しちゃったんじゃあ結局価値観の押し付けであることには変わりない。
- 千鶴は基本的に全肯定スタンスだが、それは小太郎が子供だからであって、小太郎が強くなることには一切価値を見出さない、と思う。
男同士の戦いに いじめも やりすぎもねえ
ただ本気なだけだ
・・ったく 男だったら フツー その辺は阿吽の呼吸で わかんだろーが! ダメダメだな テメーは
いくら強くても
ま 今は試合 がんばんなよ 先生
あんたには 何か目標が あんだろ?
と、千雨は基本的に「強さ」に価値を見出していないばかりか、ネギの「目標」が何であるかということも興味を示さないにもかかわらず、その「本気」を理解し、影ながら協力しようとさえする。相容れないポリシーに対しても、その「本気」に関する限り一定の敬意を払うわけだ。
これは明日菜あたりとは正反対のスタンスで、かなり特異なものだろう。つーか朝倉(魔法&過去バレ組!)の反応が普通なんであって、こりゃ友達いないのも当然っつー話。
続きます。
クリスマスに見るページは
ここしかない
異形TOP
ホンマ異形は気持ちのやさしい子やでえ……。
※耳とか異形とか ちなみに去年のクリスマスの毛の子の絵。毛の子もかわいいよ。
プレミアイベントのカバレッジを色々読んでて気付いたんだけど、最近は「フィニッシャー」って概念がほとんど構築の際に考慮されないんだね。カード触ってたのが6年も前だから感覚が古いのは自覚してるけど、やっぱりズレがあるなあ。パーミッションが5マナで飛行呼んでも決め手にならんのだよなあ。
ここ3・4ブロックくらいか、ファッティが活躍できるようにデザインされてるとは思ってたけど、終盤が怪獣大戦争になりがちなのはウィニーフェチとしてはちと不満やも。全滅魔法後になすすべなく5回殴られて沈むのもウィニーの華というものさ。
ボードコントロール(これもよう言わんな)の概念が変わってきてるのかな。場を整えるというよりはシーソーを傾けるというか。となるとビートダウンとボードコントロールの境目はかなり曖昧になる。「ガジーの輝き」なんかはそういう意味で非常に今風なアーキタイプといえるかも。(アレをビートダウンだというなら。)タイムリソースを攻める感じの速攻デッキは組みにくいようにしてあるんだろうな。現行スタンダードだとBDWがあるけど、結局大してメタられない位置に落ち着きそうだし。
それだとライフがほとんどリソースとして意味を持たないんじゃないかな……実際ダメランをアホほど積んでもそう簡単には死なないわけで。そうなるとアタッカーを「クロック」と表現するのはますますアホらしい。5/5のフライヤーですらクロックとして機能しない、というほうが環境への理解として正しいのじゃないか。例によって机上の空論なんだけど、陽星出たから4ターン以内にどうにかしよう、とはならんでしょ。
噂の『ネギま!で遊ぶ・・・・エーミッタム!』を読んでから頭がネギまモードになってしまい、今日はバイト中ずっとちうのことを考えていた。
ちうはタカミチを高畑呼ばわりだよなあ、ネギを目上に見てるのってたぶんのどかと刹那くらいだよなあ、と思ったところでバチッと閃いた。なるほど、だから今になってちうがフィーチャーされたのか、と。エーミッタムの赤松健インタビューでは「いやー行き当たりばったりですよー」みたいなことをさんざん言ってるんだけど、そうだと思ったほうがむしろ納得できる。学園祭編の製作のどの段階でちうをガンガン出すことが決まったのかは分からんけど、たぶんわりとギリギリだったのじゃないかと想像する。
で、それなりの分量のメモが残っているので、これを年末年始にかけてどうにかしてみようと思うナリ。
男同士の戦いにいじめもやりすぎもねぇ
ただ本気なだけだ
って、今更思うんだけど、めっちゃくちゃいいセリフだよ。ちう超重要だよ。エロいよ!(間を端折りすぎです