メインヒロインってのは必ずしも序盤に出てくる必要はないんだよね。忘れがちだけど。
印象深い登場をしたヒロインとしては、『デュアン・サーク2』のルルフェットを挙げたい、かも。ちゃんと読んでねえからどういう位置づけなのかよくわかってねんだけどさ。(フォーチュンのほう読めばデュアンの未来の嫁は分かるんだろうか?)とにかくなんかエラく感動した覚えがある。『アイシールド21』で鈴音が出てきたときも感動したなあ。あと、『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』のディアドラもそうだわな。『エア・ギア』も最近そんな話が出てきたような。マリみてもそうだったりするのか……?
んで、アイシなんかの場合、既存ヒロインで不足を感じさせておいてそこを埋めていくという手法が試みられているわけですよ。微妙に後付けっぽい気がせんでもないけど。そういう、真打登場までに布石を打っていくというのに今ちょっと興味がある。「ふたりはついに出会った」的なノリが好きなのもあるし。ある意味ボーイミーツガールの対極とも言えるよね。そういう面で見ると『神秘の世界エルハザード』はまことに巧妙で面白い。ボーイミーツガールのミーツがミーツになってないっていう。
ドキドキする物語に出会っても、最後まで気持ちよく読めるとは限らない。少し意識を変えれば、品質の底上げができるはず。神経質かもしれない。でも気になる。僕がファンタジー小説の作者さんに気をつけて欲しい、いくつかのこと。
- 安易に英語を使わない
- 読者は、日本語はすなわち「現地語」であると理解します。しかし、外来語がその中に混じっていた場合、それが「何語」であるのかわからなくなってしまうのです。まるで登場人物がほんとうに「日本語」で話しているかのように思われてしまうのです。同様に故事成語の使用にも注意が必要です。
- 科学レベルを考える
- 地球が丸いことがかつて異端の考えであったように、中世ヨーロッパ風の世界観においてはおのずと誤解されている科学的事実があるはずです。現代日本の常識を登場人物に持たせてしまうと、「それらしさ」は容易に失われます。それが500年前に常識であったか、一度考えてみてください。現代ですら「神秘」と呼ばれる現象は数多いのです。
- 社会通念を考える
- 倫理観は時代によっても国によっても、階級によっても異なります。我々の社会通念を元に物語を組み立てることは、読者の理解の助けにはなりますが、やはり雰囲気を壊すことに繋がる場合があります。普遍の倫理などないのです。
放置中の千雨コラム準備編、仕事中のメモより。一部すでに書き起こした内容と被る。
『ラブひな』と『ネギま!』の違いとして、主人公のモテに説得性があるか否か、という点が挙げられる。要するに、景太郎が理由もなくモテていた面が強いのに対し、ネギはモテるべくしてモテているということ。
そのネギがモテる理由のひとつに、ネギが10歳であることが挙げられる。子供だからカワイイのだ。そしてそれゆえに、ネギまのヒロインたちは基本的に「お姉さん」である。
その数少ない例外に、千雨と茶々丸は含まれる。両者は、ネギに「お姉さんぶった」接し方をしない点において似たもの同士なのだ。
(千雨は、うーん、年上は年上なんだけど、年上の友人っぽいっつーかアニキっつーか、少なくともアレはお姉さんではない。殴り方もアスナと違うし。つーかちうがガスガス殴るのいいよねー。俺も殴られたい。)
で、確かに似たもの同士なのだが、同じように対等に接しながらもその理由は明らかに異なる。
千雨は、タカミチに対する敬意のカケラもない態度からも知れるように、目上の人間を無条件に重んじるタイプではないようだ。その性質は目上であると同時に目下でもあるネギに対しても発揮されている。教師として、というか人を教え導く人間として明らかに未熟なネギを決して「先生」として認めることはない。ガスガス殴る。また、目標に向かって邁進するネギの意志力を軽んじることもない。対等な人間としての接し方に徹している。
ネギの目的そのものには深入りせず、しかしコスプレ大会で応援した分の「責任」を果たしたネギに対して影ながら協力してみせるやり方は、いかにもそんな千雨らしい誠意だ。
茶々丸の場合、絶対の主であるエヴァ以外には目上も目下もないようなところがあるし、そもそも精神的にかなり幼げなので、フツーに恋する乙女になっている。茶々丸が好きなのはただの10歳のネギ少年である。
つまり、千雨はネギに「大人」を求めているが、茶々丸は「子供」を求めている。この二人の関係は、ある意味ではネギの二面性の縮図である。似たもの同士であるがゆえに、宿敵ともいえるわけだ。
ゆえに、今週のアレを単に千雨の対人関係のドライさの表れと捉えるのは読みとしてちょっとつまらない。実現の可能性は低いとは思うが、あのシーン自体物語的に意味のあることと思う。
愛だの恋だの勇気だの希望だの永遠だの。
いつからエロゲーはそんな道徳の教科書めいたこと語るようになったんだ。
そもそもエロゲーで「いい話」やろうってのが何か勘違いしてるとしか思えない。わざわざ。成人向けで。ちょっといい話。そんなものは子供に食わせておけ。
もちろん悪いとは言わん。むしろ好きだ。だがつまらん。
インモラル。
道徳に反すること。
マザーテレサ曰く、愛の反対語は無関心である。
憎しみではない。
インモラルであるということは、モラルの影響下にある。
モラルに反することがインモラルなのであるから。
独断で言わせてもらうなら、エロ漫画や、エロ小説は、インモラルの文化である。
インモラルの文化であるから、モラルに規制されている。
エロゲーはWINTERSを産み、KISSシリーズを生んだ。
インモラルより非道徳的なのは、ノーモラルである。
モラルの無いことである。
ノーモラルの文化が色濃いのはエロゲーである。
WINTERSはエロゲーにおいて成立した。他では成立しえなかっただろう。
それはすなわち、社会的要請である。使命である。
エロゲがやらねば何がやる。
ノーモラル。
モラルが無いこと。
ノーモラルはインモラルよりもモラルから遠い。
しかるに。今エロゲーは何をやっているか。
モラルである。
あまりにモラルに溢れている。
いかんとは言わん。だがつまらん。
むしろ好きだ。だがつまらん。
つまらん! つまらん! つまらん!
ゆえに俺はその飢えを満たす作品を愛する。しかし足らぬ。
ダメ女を! 一心不乱のダメ女を!
それは俺の趣味だけど。

なるほど、好評にも頷ける良作。だけど色々ともったいない。プロットで星4つ、構成で半個マイナス、描写でもう半個マイナス、イラストで1個プラス、差し引きゼロって感じかな。kwskはあとで。