きゃっと・ふぃすと

2006/3/15 水曜日

エラー

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2006/3/10 金曜日

Diary/2006-03-10

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萌え漫画の余計なエロシーンが必要なこと

 からの続き。

 ネギまは、ぱんつさえ気にしなければ普通に面白い漫画だー、みたいなことを言われるけども、逆に言えばぱんつは余計ということであり、しかもぱんつに依存して成立した漫画だということである。行儀の悪いエロゲーのようだ。

 ということを2つ前に書いた。

 エロゲーには、明らかにエロはおまけでシナリオを読ませるのがメインになっている作品がいくらでも存在する。これを、それならエロシーン入ってる意味ないじゃない的な論調で非難する人は多い。俺もする。しかしよく考えてみて欲しい。例えば、脱衣麻雀ゲームのプレイヤーは裸が見たくてプレイしているには違いないが、それでもプレイしているのは麻雀ゲームなのだ。数多あるファンディスク系脱マーゲーに明らかなように、麻雀と脱衣の間には関連があるようでない。脱マーのプレイヤーは裸をエサに麻雀をやらされているのであって、麻雀抜きの脱マーは成立しないが脱衣抜きの麻雀ゲームは存在しうる。
 ここにおいて、エロシーンがプレイヤーのモチベーションたりうるか否かは本質的な問題ではない。つまり、作りたいゲームを作って、プレイヤーにプレイさせるために、本来必要のないサービスシーンを入れるということが、エロゲーにはたびたびあって、しかも市場に受け入れられているということなのだ。

 「本来必要のないエロシーン」を入れることで得られるメリットはいくつかあるが、作品の内部のみに目を向けていては気づきにくいかもしれない。しかし、「別にエロゲーである必要のないエロゲー」を日頃プレイしているエロゲーマーには比較的自然に理解できることと思う。
 まず、エロシーン目当てのユーザーを獲得できる。それによって企画が通りやすくなる場合がある。さらに、「本来」のフィールドを離れることで、最低限の約束事を守ることを条件に、表現の幅が広がる場合がある。ついでに、作品全体にシャレを利かせやすくなる。(所詮エロゲーなんだからさ!) 当然、成年向けになれば規制は緩む。

 俺が『ネギま!』をエロゲー的と表現しているのはそういう意味なんだよね。赤松健は、本来必要のないぱんつを描くことによって、逆に「本来」の部分を伸び伸びと描くことができている。まあ、『ネギま!』のサービスシーンは余計ではあっても無駄ではないことが少なくないけど。
 しかし、赤松健が一番すごいのは、そうしたいわばハッタリの手法を、あくまでもソフトに、特定の読者層を切り捨てることなく利用しているところだと思う。『ラブひな』がマガジンの低年齢層開拓政策の一環だった、ということは少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ラブひな編でいずみのさんが書いてるんだけど、確かに『ラブひな』は『東京大学物語』より5年くらい対象年齢のボリュームゾーンが低い気がする。いわんや『ネギま!』がマガジン連載陣の中でも低年齢層に好まれていることは想像に易く、同時に大きいお兄ちゃんがしっかり引っかかっているのも言うまでもない。

 ちなみに、ジャンプでは『タカヤ』が比較的近い位置付けの作品だったと思う。『タカヤ』がライバルを押し退け連載を勝ち取った原動力が「あててんのよ」だったのはもうアカシックレコードにも刻まれた絶対的真実というやつだけど、フタを開けてみれば近年週刊少年誌じゃ陳腐すぎて許されんよーなド健全バトル漫画だったわけで、これが面白いかどうかは別として、果たして「あててんのよ」抜きで可能だったかというとちょっと疑問なわけですよ。となると今の超展開を招いた原因も明白。筋肉描くのにかまけて足元を支えているはずのおっぱいを描くことを怠ったからなんだよ!!!

 その点、トーナメント中も忘れずにぱんつを描き続ける赤松先生はさすがですね。

2006/3/9 木曜日

Diary/2006-03-09

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ポルノメディアの物語がエロ要素と関係すること、しないこと

 からの続き。

  • エロゲーはエロシーンさえ入れておけばどういう書き方をしてもよい
  • エロ漫画はセックスを通じてテーマを描かなければならない

 というのが、最初の記事の、この一連の話題に関する限りの要点だったのだけど、ちょっと誤解を招く書き方だったかもしれない。最初の記事を読んでもらえればいいんだけど、あれは我ながら支離滅裂気味だったので補足しておく。
 つーか強調部分が全てなんだけど、何か物語をしようと思ったらセックスを通じて描写するのがエロ漫画の流儀、ということを言いたかった。もちろんエロ漫画はポルノなので、別に何も物語をしなくてもいい。
 逆にエロゲーの場合、そもそもエロシーンがクリア報酬だったという事情もあって、物語上の蓋然性とかは関係なくとりあえずエンディング直前に置かれたりする。そもそもクリア報酬って時点でゲーム本体からは分離されてるわけで、コンシューマ移植とかもあるし、歴史的文化的にエロゲーのエロシーンは物語から乖離しやすい素養がある、と。

 俺がこのネタにこだわるのは、エロそっちのけで滔々とストーリーを語るエロゲーを愛しつつも疑念を拭えないからで、確かにそれはエロゲーの特権だけど特権に甘んじるのはどうかという気もする。
 エロゲーというのは「エロ」な「ゲーム」であって、エロゲーがエロゲーである限りエロ要素とゲーム要素は必然的に含んでしまう。それを活かさないのはやはりもったいない。

 例えば俺がヒロイン同士が揉めるエロゲが好きなのは単に物語的な好みだけではなくて、それが選択分岐AVGのゲーム性、つまりヒロインを選ぶ=選べるはずのヒロインを選ばないという行為を通じたストーリーテリングだからということもある。ということに今気付いた。そのほうが作品全体としてのポテンシャルを活用できるはずと信じている。
 同様に、エロゲーがゲームであるのと同時にポルノである以上、エロシーンを通じて何かを語れたほうがいいには違いない。というか俺が一時期『牝奴隷』に執着してたのはそういうことだとやっぱり今気付いた。あと『天使のいない12月』とか、大好きだし。

 なんにせよ、メディアとしての基本構成要素をうまく利用したほうがシナリオ自体はヘッポコでも存在感を出しやすいし、それはストーリーテラーとしては弱者の兵法かもしれないけど、みんながみんなエロシーンが魔力補給で面白いシナリオを書けるわけじゃないので、よいゲームシナリオなりポルノシナリオなりを書ける職人芸も必要なのではないかと思った。

2006/3/8 水曜日

Diary/2006-03-08

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エロゲーは建前の文化

 ふたたび:エロゲー批評とエロ漫画批評

  • エロゲーはエロシーンさえ入れておけばどういう書き方をしてもよい
  • エロ漫画はセックスを通じてテーマを描かなければならない

 つまり、エロゲーとは建前の文化である、ということを書いた。

 エロゲーにおける建前の数々。

  • 登場人物は全て18歳以上であり
  • 登場する教育機関は中学校・高等学校ではなく
  • 楽しい学園生活であり
  • ポルノである

 ジャケットから受ける印象が実際と大きく異なることなどは本当に珍しくもない。じゃあ、見事騙されたユーザーは怒り狂うかというとそうでもない。例えば『CROSS†CHANNEL』の外箱はひでー大嘘付きだけど、騙されて怒り狂ってる人はあんまり見ない。
 美少女と仲良くなって愛し合ってエッチ、というのがまさに典型的建前なエロゲーの建前である。もちろんそれは事実に即している。多くのエロゲーで美少女と仲良くなって愛し合ってエッチすることができる。しかしそれが作品の核を成している作品となると、大幅に対象が狭くなる。

 エロゲーがなぜエロゲーかというと、性表現を含むゲームだからに他ならない。つまりエロゲーには必ず性表現が含まれる。
 かつてはそれこそがエロゲーのセールスポイントであったはずだが、現在は必ずしもそうではない。言い訳程度のエロシーンしか含まない作品も普通に市場に受け入れられている。

 また、「萌え」というのもエロゲーを苗床として育ってきた概念である。
 エロゲーに出てくるような美少女キャラに感じるものが萌えであるとするなら、つまり、エロゲーなればこそ萌え要素を必然的に含む、のであれば、それが同様に形骸化し、言い訳程度の萌え要素しか持たない作品が市場に受け入れられたとしてもおかしくはない。

 への反応なんだけど、最近のニトロゲーはちゃんとやってないからよくわからない。けど、『刃鳴散らす』のパブリッシュは俺も大変疑問だった。つーか最初キラルだと思ってた。それも違和感の原因だとは思うけど、ファントムだってイメージは銃だし、とか、ちょっともにょる。

2006/3/6 月曜日

Diary/2006-03-06

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エロゲー的な漫画 エロ漫画的な漫画

 前提として:エロゲー批評とエロ漫画批評

  • エロゲーはエロシーンさえ入れておけばどういう書き方をしてもよい
  • エロ漫画はセックスを通じてテーマを描かなければならない

 というのが要点。

 例えばエロゲー的な漫画は、赤松健『魔法先生ネギま!』。例えばエロ漫画的な漫画は、影崎由那『かりん』。
 だなと思った。

 ネギまは、ぱんつさえ気にしなければ普通に面白い漫画だー、みたいなことを言われるけども、逆に言えばぱんつは余計ということであり、しかもぱんつに依存して成立した漫画だということである。行儀の悪いエロゲーのようだ。
 ちなみに、赤松健が『ラブひな』を描くにあたってギャルゲーを参考していたことは周知の事実…だと思う。

 対して、『かりん』の鼻血ブーは明らかに物語上でも要点であり、鼻血ブーを抜いたら面白くなくなってしまう。逆に言えば、鼻血ブーがダメな人には読めない漫画だということになる。
 ちなみに、影崎由那とエロ漫画家の影崎夕那が同一人物であることは広く知られて…はいないかなぁ。

 で、これは『かりん』を褒めたくて書いてるんだけど、『かりん』が面白いのはまさにその鼻血ブーの扱いなんだよねえ。「吸血」というモチーフはしばしばセックスの比喩として用いられるけど、果林は吸血鬼ならぬ増血鬼であり、噛むことは噛むけど吸わないという基本設定の時点ですでに1回ひっくり返ってる。
 『羊のうた』の吸血衝動がほとんど性欲そのものに描かれているのに対して、『かりん』の吸血はエッチな行為にしか見えないけど実は違う。(だから男でも女でもオッケー。)これはこの作品において非常に重要なポイントだと思う。

 血を奪い、ときに相手を隷属させ、首筋に噛み痕を残す吸血行為は、一般的には創作においても「悪」として扱われる。もちろん、吸血そのものは悪であっても、それを正当化する理由を用意し、噛む行為としてはポジティブに捉えられるような作品は少なくないわけだが。
 『かりん』の場合、噛む行為を正当化し、あるいは否定するロジックが二重三重に張り巡らされ、しかもそれらがいちいち雨水君と果林の関係を示唆する鍵になっている。なぜ果林は雨水君に反応するのか、なぜ果林は雨水君を噛めないのか、果林が雨水君に連れ添うというのはどういうことなのか、全てが入れ替わり立ち代わり絡まりあって今のふたりを映し出す。これはセックスを通じて何かを描かんとするエロ漫画表現の巧みな応用であり、しかも性表現規制なしという規制を解かれてより自由度と複雑さを増した発展形である。

 ここで雨水君が(果林も)とんでもねーニブチンなのは、セックス=互いを求める行為が吸血という形にデフォルメされている以上仕方のないことであり、ふたりの関係を進展させるためには何らかの外部的介入が必要とされることになる。家庭の事情とかー。恋のライバル(?)とかー。このあたり実にムダもソツもない。
 エロ漫画的であるがゆえにセックスを描けないってのは不思議な話ではあるけどね。それゆえに吸血、もとい、供血シーンの感慨は一際深い。しかもそれが関係の反映ではあってもそのものからはけっこーズレているために、絆は深まっても好いた惚れたの話はガッカリするほど進んでないのがもどかしいやらなにやら。

 そんなわけで、エロ漫画的な観点から見ると意外なほど深読みできて面白いんではないでしょーか。あとやっぱ果林かわいい。泣くのに嫌味がなくていいよなー。

※続き:ポルノメディアの物語がエロ要素と関係すること、しないこと

アサヒ - (2006年03月11日 12時04分38秒)

おまえ「ラウラ・シルヴァー・グロウリー」とか知らないだろ。
無知の素人が偉そうに講釈たれるな。

もりやん - (2006年03月11日 14時18分47秒)

全然知りません。吸血鬼モノですか? Google先生も何も知らないようなのでなんともいえません。

通りすがり - (2006年03月11日 15時22分00秒)

>ラウラ・シルヴァー・グロウリー
「足洗邸の住人たち」について言っているなら、吸血鬼についての古典でもなんでもないんだから、別に知ってるから何だって話なんですが何か?

通りすがり - (2006年03月11日 15時23分19秒)

グロウリー → グローリー

もりやん - (2006年03月11日 16時03分17秒)

あ、どうも。助かります。面白そうなので機会があったら読んでみることにしました。

哲学の基礎 - (2006年03月11日 16時38分49秒)

無知の知。自分が知っていることを誇るのではなく、知らないことを認識することが有識者への第一歩か。
なるほど、実に参考になる。

もりやん - (2006年03月11日 16時50分03秒)

知識はあるに越したこたないですけどねー。まあネットだと補ってくれる人もいるわけでして。

お名前無し - (2006年03月11日 20時00分05秒)

とりあえず果林が可愛いということは間違いない。

マルー - (2006年03月11日 20時58分09秒)

>影崎由那とエロ漫画家の影崎夕那
絵を見れば同一人物なのは一目瞭然じゃない?

そしてアサヒ氏が知ったかぶりなのは分かった。

もりやん - (2006年03月11日 21時58分32秒)

・果林かわいいよ果林

・そもエロ漫画出身というのを前提に話していいものかと思って。1巻のあとがきでそれとなく触れられてはいるんですけどね。

お名前無し - (2006年03月12日 19時05分29秒)

いいよね。「足洗邸の住人たち。」を読んだことあるだけで
「無知の素人が偉そうに講釈たれるな。」
なんて大口叩けちゃうなんて。

もりやん - (2006年03月12日 19時50分08秒)

んー。
ぶっちゃけ、ここで煽り合いは勘弁して欲しいなというか。コメント欄付けてる以上は当方に迎撃の用意あれども、場外乱闘の覚悟は完了してないっつーか。

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