萌え漫画の余計なエロシーンが必要なこと
からの続き。
ネギまは、ぱんつさえ気にしなければ普通に面白い漫画だー、みたいなことを言われるけども、逆に言えばぱんつは余計ということであり、しかもぱんつに依存して成立した漫画だということである。行儀の悪いエロゲーのようだ。
ということを2つ前に書いた。
エロゲーには、明らかにエロはおまけでシナリオを読ませるのがメインになっている作品がいくらでも存在する。これを、それならエロシーン入ってる意味ないじゃない的な論調で非難する人は多い。俺もする。しかしよく考えてみて欲しい。例えば、脱衣麻雀ゲームのプレイヤーは裸が見たくてプレイしているには違いないが、それでもプレイしているのは麻雀ゲームなのだ。数多あるファンディスク系脱マーゲーに明らかなように、麻雀と脱衣の間には関連があるようでない。脱マーのプレイヤーは裸をエサに麻雀をやらされているのであって、麻雀抜きの脱マーは成立しないが脱衣抜きの麻雀ゲームは存在しうる。
ここにおいて、エロシーンがプレイヤーのモチベーションたりうるか否かは本質的な問題ではない。つまり、作りたいゲームを作って、プレイヤーにプレイさせるために、本来必要のないサービスシーンを入れるということが、エロゲーにはたびたびあって、しかも市場に受け入れられているということなのだ。
「本来必要のないエロシーン」を入れることで得られるメリットはいくつかあるが、作品の内部のみに目を向けていては気づきにくいかもしれない。しかし、「別にエロゲーである必要のないエロゲー」を日頃プレイしているエロゲーマーには比較的自然に理解できることと思う。
まず、エロシーン目当てのユーザーを獲得できる。それによって企画が通りやすくなる場合がある。さらに、「本来」のフィールドを離れることで、最低限の約束事を守ることを条件に、表現の幅が広がる場合がある。ついでに、作品全体にシャレを利かせやすくなる。(所詮エロゲーなんだからさ!) 当然、成年向けになれば規制は緩む。
俺が『ネギま!』をエロゲー的と表現しているのはそういう意味なんだよね。赤松健は、本来必要のないぱんつを描くことによって、逆に「本来」の部分を伸び伸びと描くことができている。まあ、『ネギま!』のサービスシーンは余計ではあっても無駄ではないことが少なくないけど。
しかし、赤松健が一番すごいのは、そうしたいわばハッタリの手法を、あくまでもソフトに、特定の読者層を切り捨てることなく利用しているところだと思う。『ラブひな』がマガジンの低年齢層開拓政策の一環だった、ということは少年漫画という視点から見た赤松作品の変遷:ラブひな編でいずみのさんが書いてるんだけど、確かに『ラブひな』は『東京大学物語』より5年くらい対象年齢のボリュームゾーンが低い気がする。いわんや『ネギま!』がマガジン連載陣の中でも低年齢層に好まれていることは想像に易く、同時に大きいお兄ちゃんがしっかり引っかかっているのも言うまでもない。
ちなみに、ジャンプでは『タカヤ』が比較的近い位置付けの作品だったと思う。『タカヤ』がライバルを押し退け連載を勝ち取った原動力が「あててんのよ」だったのはもうアカシックレコードにも刻まれた絶対的真実というやつだけど、フタを開けてみれば近年週刊少年誌じゃ陳腐すぎて許されんよーなド健全バトル漫画だったわけで、これが面白いかどうかは別として、果たして「あててんのよ」抜きで可能だったかというとちょっと疑問なわけですよ。となると今の超展開を招いた原因も明白。筋肉描くのにかまけて足元を支えているはずのおっぱいを描くことを怠ったからなんだよ!!!
その点、トーナメント中も忘れずにぱんつを描き続ける赤松先生はさすがですね。