風邪で伏せってます……が、とりあえず反応。
Fate=少女漫画、というところまでは直ちに同意はしかねますが、「理解型の救済」というのには同意します。
愛≠救済かつ理解=救済、というパラダイムについてはToHeart2 X-RATED:姫百合姉妹2―三宅章介と恋愛ゲーで述べました。愛だけでは救済に繋がらないのみならず、愛がむしろ人を追い詰める、というのがこれらの物語の特徴です。キャラクターが救済されるために、理解が必要とされます。
で、「理解型の救済」というところから話を発展させるんですが、まず、Fateにおける「理解による救済」は基本的に主人公とヒロインの間で行われています。当たり前ですが。ちなみに、アーチャーはヒロインに含みます(『Fate/stay night』における主人公とヒロインの対立)。
そしてそうであるから、上のリンク先にも書きましたが、モメているのは主人公とヒロインです。主人公と敵キャラではありません。
少年漫画の基本的な作法に、なぜリリカルなのはは少年漫画ではないのかで書きましたが、要すれば「ケンカして勝った奴が正しい」というのがあります。言い争いのゲンコによる解決です。「正義は勝つ」とも言います。もっと簡単に言うと、良い奴と悪い奴がケンカして、良い奴が勝つことによってその正しさが保証されるというのが、少年漫画の基本的な、極言すれば必須のパターンです。
そして、このパターンは、Fateにはほとんど出てきません。思想的対立を含まないただの殺し合いや殺し愛は、少年漫画的男と男の勝負とは異なります。はっきりそうと言えるのはセイバールートのラストバトルくらいのもんでしょうか。それ以外のモメ事は、概ね、痴話喧嘩の類です。アーチャー戦も同じく。ありゃバトルシーンじゃなくてエロシーンだ、と言ったらさすがにわけわかめですが、あのあと士郎は凛によって生き方を矯正されてしまうわけですよ、勝ったのに。それを考えたら少年漫画の文脈をそのまま当てはめるのはアホらしい。
例えばセイバールートでは、正義の味方士郎と悪の親玉言峰の対決は重要なポイントとは到底言えません。むしろ重要なのは士郎とセイバーの対立です。ここにおいて、正義と悪の対決は士郎一人の物語でしかない。語られるべきは士郎とセイバー、二人の物語でしょう。二人が互いを理解し合うまでの摩擦と、導き出される一つの答え。これが、セイバーの鞘発言のシーンまで、シナリオのほとんどを費やして語られている。そこから先はまあ、ミステリの解答編みたいなもんですな。一番イイところだけど、物語的に意味はない。
いやほんと、軽々しく少年漫画って言うべきじゃないと思いますよ。
後編執筆中。
なんかもう全然萌えない。ひたすら燃え。あの絵でカケラも勃起しないのはさすがにすごいぞ。
サクッと終わらせて何か書きたい。Diary/2006-06-11・Diary/2006-08-12の時点ではプレイしてなかったので、さすがに見えてなかったことが色々あった。
妹属性というのがエロゲーにおいて非常に流行った時期がある。これが終わった時期を決めるのは難しいが、始まった時期に関しては『With You ~みつめていたい~』をその端緒とする説が一般的であると認識している。
『With You』において、サブキャラにも関わらず断トツの人気を誇ったのが主人公の実妹である伊藤乃絵美だった。 乃絵美はいわゆる救済ヒロイン(攻略失敗した際の救済措置的なEDで登場するヒロイン)であった。これは「他の女はさておいても、妹だけは俺を見捨てない」という、妹キャラに求められる基本的役割に見事に合致している。乃絵美の人気には、この配役の妙が(偶発的にしろ)作用していたと思われる。
一方で、この実妹設定のゆえに専用ルートもエロシーンも存在しえず、悶々としたファンも多かったという。
乃絵美の人気によって下地の作られていた妹キャラ需要に積極的に答えるべく導入されたのが、義妹設定である。血が繋がってなければエッチしてもOKという理屈で、妹キャラを攻略対象ヒロインとして採用することが可能になった。
ここで改めて、エロゲーにおける妹キャラの魅力を考えてみると、以下のようなものが考えられる。
- 血縁者と性行為に及ぶ背徳感
- 年頃の女性と同居しているというシチュエーション
- 恋愛に拠らない関係性ゆえの安心感
- ゲーム以前のエピソードの蓄積=思い出
このうち1については、血縁関係がなくなることで大部分がスポイルされる。よって、義妹キャラには2~4の要素が強く求められることになる。自然、父母の再婚等による縁戚関係に加えて、長期に渡る同居状態が多く設定された。
義妹設定の導入によって妹ブームは大きく広がったのだが、義妹キャラが粗製濫造される中でその意味合いも徐々に変化していった。妹キャラの役割を「最初から主人公に好意を抱いているヒロイン」といったように単純化して捉える作品が増えていったのである。
このような妹像を完全に成立させたのは『Sister Princess』だろう。以下、基本的に原作及び原作に準拠するゲーム版1・2について言及する。まず、主人公と妹たちは過去も現在も同居していない。また、ゲーム版血縁ルートにおいてのみ血縁関係が明示されるものの、同居もしておらず両親も登場しないため(そもそも12人もいるし)縁戚関係の意識は極めて薄い。いわゆる海外組に至っては過去における主人公との関わりが皆無である。一方で、12人全員が「お兄ちゃん大好き!」であり、恋愛(的)関係になることが可能とされている。
このような「縁戚関係」も「同居状態」も重要視されない妹像は、実のところ妹である必要がほとんどない。
それを明確に示していたのが『みずいろ』である。この作品においては幼なじみの日和と義妹の雪希が2大ヒロイン的な扱いを受けているが、いずれのシナリオにおいても強調されるのは「思い出」であり、実のところ役割においては大差がない。主人公と同居している雪希が食事等の世話をしているのが唯一違いらしい違いだが、物語上重要とは言えない設定であるし、本来エロゲー的に重要なはずの「年頃の女性と同居している」状況については全く強調されない。
当時、いわゆる萌えゲー・シナリオゲーでは、妹キャラはいて当然という状況であった。雪希が支持されたのは、「理想の妹」としてであっただろう。「ふつうのギャルゲーを目指して」という『みずいろ』のコンセプトからしても、「なぜ妹なのか」という問いは一切ない。妹はただ妹であればよく、さしたる特異性は求められなかったのだ。
無印→A’s→StrikerSの流れをよく見てよく考えたら、これって無印からずっと家族の話だったのじゃないかしらん……?
なのはとフェイトの友情ってのは、あくまでもお互いの家庭が正常に機能していることを前提としたものであって、究極的には家族の話。そのような価値観を根底においたストーリーテリングがなされていると考えると、だいぶ納得できることが多い。
家族として云々ではなく、アリシアへの「個人的な愛情」を基盤として行動するプレシアが一顧だにされず完全否定されるのに対して、リンディの母親あるいは艦長としての共同体論理がほとんど無批判といっていいほど肯定的に描かれるのは極めて象徴的な話で、『なのは』シリーズ全体に共同体論理が貫かれている。
リンディは、ある個人と良好な関係を築くためには、まずその属する共同体との関係を良好に保つ必要がある……というかそれだけで充分だと考えているフシがある。
例えば、フェイトの取り扱いについて明らかに方向性の違いがあるなのはと積極的に話し合おうとはせず、それよりもなのはの家庭と学校での生活のケアに気を遣い、母親にはキッチリ話を通そうとする。重大な確執があるはずのフェイトの心情には特に配慮せず、それよりも家族としての関係を結ぼうとする。そして、結果として二人とも時空管理局に取り込むことに成功する。
なのはとフェイトの友人関係は、「高町家」と「ハラオウン家」という正常な家庭があって初めて成立する。なのは・アリサ・すずかの関係がいかにも小学生的な家単位での交流であることからソッコーで思い至るべきだったが、無印であまりになのはとフェイトの個人間の関係が強調されていたので見誤ってしまったようだ。
ヴォルケンリッターとなのはらの間に何らわだかまりが残らないのも当然で、共同体同士が手打ちになったら争う理由がないのだ。ていうか、そもそも何の対立も発生してなかった。相変わらず。
最近よそごとにかまってて更新してなかったけど、色々溜まってきたので出していきます。
一昨年の記事だけど、いらん心配だったなこりゃ。いまだに蛹蟲の章の頭までしかやってないけど、これは大変に賢い。
そもそも上掲記事の要旨は、ぶっちゃければ「闇の声はキャラが立たないからダメ」っていうことだったわけだけれども、そんなこと言ったらいじり方次第でヒロインのキャラが変わる調教ゲーは全部ダメってことになる。実際全然売れてないし作られてもいないんだが、それはそれでエロいのでもったいない。
つまり、『闇の声』シリーズや調教ゲーの魅力は、同じヒロインがシーンによって全く違う顔を見せるところにある。しかし、それではそもそも一貫したキャラクター性自体が成立しない。ジレンマだ。じゃあどうするか。
年齢ごとに立ち絵用意すればいいんじゃないですかね、というのが『EXTRAVAGANZA』の解答だったわけだ。当たり前だが、同一人物でも年齢が違えば異なる顔を持ちうるわけで、これは盲点だった。「一貫したキャラクター性」と「多様な顔」というのを、時間軸をずらすことによって成立させている。実に賢い。
個人的には、ロリ→少女→オバサンを一直線に並べるより、分岐で選択できたほうが(それが見かけ上だけで、実際にはプレイ順が固定だとしても)面白かったように思うが、有意義な挑戦と評価したい。