「ひとりでプリキュア!」第2話 〜ふたりののぞみ!?〜

 わたしは夢の中にいた。
 昨日とちがう今日のわたしの夢。蝶の夢。変わり始めたわたしの、プリキュアの夢。
 あれが夢なら、やってくる明日は、また昨日とおなじなの?
――――たとえそれが夢でも。あなたはいつでも変われるんだよ。
 怖いよ。信じられないの。ずっと、期待しては裏切られていたから。一度つかんだものがはなれていくのは、もっと怖いよ。
――――それは、あなたに心があるからだよ。心があるから怖いの。心があるから、夢を追いかけられるんだよ。
 追いかけたって、わたしにはかなえられないよ。
――――だいじょうぶ。あなたはもう出会ったから。あなたの手はもう、ふれたから。
――――だから、もうすぐ出会えるよ。
――――夢の向こうでわかれたわたしに。
――――目覚めたら。
――――きっと……
 
 目覚めたら。
 そこは、いつもどおりのわたしの部屋。
 
「…………なによ、もう」
 
『ひとりでプリキュア!』
#2「ふたりののぞみ!?」
 
 正直、頭がぐちゃぐちゃで学校になんか行きたい気分じゃなかったけど、昨日のことを確かめようにも、手がかりはなんにもなかった。
 学校をさぼってまですることなんて、もっとない。
 結局、いつもどおりの時間に家を出た。
 
 学校では一日中上の空ですごした。それでも、昨日となんにもかわらない。なにもないわたしの、いつもどおりの一日。
 先生のだれだかが産休になります、なんて、心にひっかからないニュース。
 くるくる回るお芝居。まるで雲の上のステージ。流れるにまかせて今日もおしまい。
 校門の前で振り返った。
 そらぞらしい洋風構えの校舎。なにもないわたしの、からっぽの居場所。
 立ち止まったわたしを、スーツ姿の女の人が追い抜いていった。
 
 そのとき。蜜がたっぷりつまった花でもみつけたみたいに、あの光るチョウが、空のむこうから舞いおりてきた。
 手も足も心臓も凍りついた。
 チョウは楽しげになんども宙に円をえがいて、笑いさざめくようにふるえて、スーツの肩にひらりととまった。
 とびおきた心臓がわたしをせき立て始めるまで10秒。
 光は、はねるような歩調で角の向こうに消えていった。
 制服の集団がいぶかしげにこちらを見ながら通りすぎて、やっと戻ってくる現実感。
 わたしは走り出した。
 
 追いついてどうするか、ぜんぜん考えてなかったのは失敗だったと思う。つかず離れず、こそこそ後をついていく。とつぜんはじまった探偵ごっこ。変装くらいしたほうがよかったのかな。
 ふつうに歩いていても、浮かれて見える人だった。悩みなんかなーんにもないです! っていう感じで、肩にふわふわの光をとめたまま、てくてくてくてく歩いてく。勝手にあとをつけてるってわかってても、なんだかバカにされてる気がする。あんなのを必死においかけてるわたし、いったいなんなの?
 
 3つめの角を曲がったとき、急にあの人が走り出した。わたしも急いでついていく。右手をふりふり、入っていったのは花屋さんだった。見つからないように祈りながら、そうっと中をのぞきこむ。
 店番をしていたのは、あざやかな赤毛の、きっぷのよさそうなお姉さん。ふたりは親しげに笑いあって、おしゃべりをはじめた。
 花屋のお姉さん、なんだかすごくカッコイイ。いつもだれかのめんどうをみてて、自分でそれを楽しんじゃうタイプかも。今だって、あの人をからかってからっと笑う顔、すっごく輝いてるんだもん。
 花屋のお姉さん、両手を腰にあててお説教のポーズ。あの人はあわてて腕時計を見て、また腕をふりふり、歩き去っていった。見送る横顔がどきっとするほどりりしいわ。
 すぐに追いかけようかと思ったけど、思い切ってカッコイイお姉さんに話しかけてみた。
「さっきの人、お知り合いですか?」
「ん? ああ、そうね。腐れ縁よ」
 ニッ、って笑顔。またまたカッコイイ。
「しかりなれてる感じ、しました」
「あはは! そりゃもう、あの子には昔っから苦労かけられっぱなしなんだから。大人になってもちっとも変わらないわ」
 でも大好き、っていわれなくてもわかっちゃう明るい声。ちょっと、ずるいなって思う。
「いつもこのお店にいるんですか?」
「ううん、今日はたまたま人手が足りなくてね。ふだんはアクセサリーのお店やってるの」
 それはびっくり。一瞬イメージあわないなって思ったけど、よく見るとすてきなピアスしてる。自分で作っちゃったわけ? ますますカッコイイ。
 もっとお話ししたい気もしたけど、あの人を見失っちゃうわけにもいかない。お店の場所だけ聞いて、探偵ごっこ再開。
 
 あの人は、オーロラビジョンの前で立ち止まって、じっと画面に見入っていた。すごい前のめり。簡単においつけたのはいいけど、さっきの話からするといつもこんな調子でふらふらしてるのかしら。それとも、むしろ集中力があるっていうのかな。
 映っていたのは春日野うららのインタビューだった。アイドルから始まって、あれよあれよという間にのぼりつめていった人気女優。……らしい、というくらいにしか知らなかったんだけど。
 後ろ姿からもつたわってくる、画面にくいこみそうなあの人の視線につられて、わたしもいつしか、春日野うららに見入っていた。魅入られていた。
 あらためて見ると、とんでもない美人だわ。ちょっと日本人ばなれした顔だちなのに、みょうに可愛らしい笑顔なの。テレビで見てこんなこと思うのってばかみたいだけど、性格よさそう。オーラが出てるってこういうことなのかな。
 話題は、彼女の新作映画のクランクイン。かつての情熱を見失った女流小説家と、彼女のファンを自称する文学少女の友情を描いた物語。
「脚本の秋本さんとは中学校時代からの友達で、ずっと一緒に仕事したいと思ってたんですけど、今回やっと実現できました」
 そういう彼女の表情には、充実感が漂ってる。夢を仕事にした人。おおぜいのひとの夢そのものになった人。そうして彼女は、もうひとつ夢をかなえたのね。
「わたしも、デビューする前、不安だったときに、友だちとはげましあってがんばりました。この映画が、観る人にとっての支えになれたらうれしいと思います」
 息をのむ。めざすものも、支えあう人もないわたしは、どうやったら彼女のようになれるだろう。夢をかなえる、なんて想像することもできない。ただ生きてるだけで折れそうなわたし。
 あの人には、友だちがいたんだろう。花屋のお姉さん以外にも、きっとたくさん。そうでなければ―――ああやって、春日野うららの言葉を、力に変えるなんてできるはずもない。
 インタビューが終わると、ぐっとこぶしをにぎって、あの人はまた歩きだした。
 
 腕時計を見ながら歩いていく彼女のあとを、隠れもせずについていく。どうせ気づかれやしないと思ったし、わたしばかりがあの人を気にしていることが、すこし腹立たしくもあった。あのチョウは、まだあの人の肩で、楽しげにふるえている。
 足早になったあの人は、カフェテラスに入ってく。わたしも、もうちゅうちょせずあとを追った。
 カフェで待っていたのは、文庫本をぱらりとめくる、やわらかい雰囲気の女の人だった。あの人がかけよってくるのを見つけて、とけそうな笑顔になる。お母さんみたい、と真っ先に思った。子供がいてもおかしくない年だし、ほんとうに、ふだんは優しいお母さんなのかも。
 あの人がテーブルについてすぐ、女の人がもうひとり、せいた調子でやってきた。めがねをかけた知的な美貌。清潔感のある、すっきりしたパンツルック。いかにもなデキる女ね。見ほれるようなむだのない足取りで残った席につくと、見ているだけでほっとするような、おだやかな表情になった。
 カフェオレを注文して、わたしも空いているテーブルに座った。さわがしいカフェの空気にまぎれて、あの人たちの話し声はよく聞こえない。
 このふたりも、あの人のむかしからの知り合いらしかった。身ぶり手ぶりをまじえての、あの人のせわしないおしゃべりを、ひとりはやさしげにほほえみながら、ひとりは苦笑いしながら聞いている。
 あの人を中心にしたテーブルの話題は、それぞれの近況報告らしい。達成に祝福。不安にはげまし。苦労になぐさめ。つらいことも前向きにうけとめる雰囲気が、そこにはあった。
 深い信頼。中でも、あの人より年上らしいふたりの間には、切っても切れない絆が感じられた。アクセルとブレーキのように、しっかりかみ合ったやりとり。言葉にしなくても、目さえ合わせなくても伝わる空気。きっと久しぶりに感じたそれに、心地よくひたる、あの人の背中。
―――相変わらず、仲良しなんですね。
 耳には届かなくても、わたしの胸には聞こえた言葉。ふたりは顔を見合わせて、てれくさそうに笑った。
 それがあると信じられることが。その確かな存在が、手の届くところにあったらどんなにいいだろう。
 かけよればふれられるはずの背中が、蜃気楼みたいに遠い。あの人の世界はわたしとちがいすぎて、交わることなんて信じられなくて。
 昨日見た夢は、いまはもう、ただのまぼろし。
 わたしは、わたしのままそれを見ていて。
 
 もう、耐えられなかった。
 
「はあっ、はっ、はあぁっ」
 気づけば、どこともしれない十字路で、ズキズキ痛む胸をおさえて立ちつくしていた。
「なにやってるの、もう……」
 昨日のことを信じたくて、かすかにつかんだ手がかりをはなしたくなくて、希望のあとをついていった。でも、追いかけた夢はずっとずっと遠くて、けっきょくは、現実とのあいだの壁を、ただ見せつけられただけだった。
 いまのわたしにはなにもない。手にしたと思ったものは、砂みたいにすりぬけて、わたしに痛みだけをのこした。
 今日よりいい明日なんて。わたしよりいいわたしなんて。想像することだってできないのに、どうして、わたしにつかめるなんて―――
 
 まぢかから聞こえるクラクション。
 よけきれない距離に、せまってくる自動車。
 強く手を引かれて進路からのがれた。
 
 自動車は、きげんわるげに煙を吐いて走り去った。
「あぶないよ、あんなところに立ってたら」
 わたしの手を引いたのは、栗色の髪の、怖いくらいととのった顔をした男の子だった。肩に下げた小さなポーチは、ほんとうの姿にはショルダーバッグ。
「あなたっ!」
 夢をつれてきた人。
 ココアのあたたかい手が、わたしにふれていた。


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