鮮烈――――。
第一に受けた印象は、それです。
体験版をプレイしたときから、(そして、最後に収録されていたムービーを見たときから)その情景の鮮やかさには強く惹き付けられるものを感じていました。なんということのないシーンが、驚くほど鮮明に目に残る。
FFDによる、AVGという形式に限れば間違いなくトップクラスのビジュアル演出。それを支える大槍葦人原画の美麗なCG。細井総司の手になる上質な音楽。いずれも大きくこの強烈な印象に寄与しています。しかしながら、『Quartett!』の本質的な強みに迫るにはまだ言葉が足りない。
シャルロットと向かい合うフィル。嬉しげなメイを眺めるばかりのユニ。振り返らず歩き去る淑花。シニーナと対峙するハンス。弦楽版ムービーの真の魅力は、この類稀なる「場の構築のうまさ」に帰結すると言っていいでしょう。広義の「コマ割り」のうまさと言ってもいい。連綿と続く流れのどこを切り取るか。あるいは、捕らえ逃した瞬間の気配をどう画面に反映させるか。漫画における「間」の概念とはこのようなものだと僕は考えているんですが、その「間」のセンスが実に素晴らしい。これは単にその場の展開のみならず、全体的なストーリーの流れに関しても言えることです。切り抜いた一コマに、いかに時間的・空間的な広がりを持たせるかという。そういう面で特によかったのは、ユニとハンスのシーン。いずれも、前後の時へ想像がはばたく素晴らしい演出手腕でした。ああいうのが見たいんだよ。
そう、確かに部活動モノ的な「いい話」を期待しているのは確かです。しかし、より本質的には、大槍葦人という強力なタレントが生み出す、究極に美しい一瞬のポートレイトこそを、僕はこれほどに心待ちにしているのです。作品全体を一つのハイセンスが統括して始めて生まれ得る境地。信じてるよ、Littlewitch。
どうも、えっちシーン的にコンセプト持ったシナリオの純愛ゲーって好みらしい。フローラリアとか。
■すりまり体験版やってます
……そうきたか!ママ上がめっさかわいいです。攻略させれ!むしろ主人公パパ上にしとけ!ああでも、そうすると月詠さんが外れるのか…ううううう!
やべー月詠さんやべーやべー惚れるやべー
いやなんつーかもう、ヤバいです。格が違う。桁が違う。存在感が違う。
えー、結論としては、月詠さんは完璧だけど基本的には三流。本来ならクソゲー認定なんですが、月詠さんがよすぎるのと、シナリオ(というか企画)が稚拙なりに光るものを感じるので購入検討対象。つかぶっちゃけ野上奈々買いなんですが。声、まーべらす。
上の文章とはまったく関係なくて別ルートなんですが、やっぱり『みずいろ』は麻美先輩ですよ。麻美ルートこそが真のみずいろですよ。
まず、シナリオの出来が一番いいのは日和ルート。これは間違いない。次は多分雪希ルートでしょう。次はちょっと悩むけど、進藤ルート。一番下は、まっこと不本意ながら清香で確定。つまり、脳内番付では麻美ルートは四番手。それでも僕は麻美ルートを評価しなければならず、日和ルートを認めるわけにはいかないのです。
なんでかって、麻美ルートが一番「普通」に忠実だから。一番思想的に価値あるシナリオだったから。狙ってできるという前提の元で言うならば、ねこねこソフトの目指すべき方向性は、きっとこういうものだから。もっとも、麻美さんは元々巫女になる予定だったという話を聞く限り、どーも麻美ルートすら偶然の産物なんじゃなかろかという疑念もしっかりばっちり浮かんでおるわけですが。
ちゃんとまとめて書きます。そのうち。
面白い。確かに、ブログを初めとするネット上の文章は、その編纂過程に外部圧力が非常に強く作用する点で紙の上の文章と異なると思います。それは出版という形では不可能だった表現を可能にするものではありますが、それを閲覧する際に非常に動的な対応を強いられる、ということでもあります。
僕がブログあんま好きじゃないって言ったり、日記サイト化に抵抗してみせるのは、ひとえにこの「動的に閲覧しなければならない」というネット上の文章の特徴を少しでも弱めようとしているからにほかなりません。そうでないならそれは「運動」や「現象」に近しいものになってしまうでしょう。僕が目指すものはあくまで「書庫」的なものであり、その観点から言えば現状の形式は非常に不満だと言わざるをえない。(それなのに勝手に望まない方向へ傾いていくのは、ネット上における言論の本質を示す事象、とかなんとか言っちゃったら言いすぎですかね。)
だからこそ僕は動静の度合いによって文章をおよそ3種に分類して書いているわけですが、ここ数ヶ月、もっとも静的な文章に残すべき内容が中庸の部分に流出しているのが困ったもの。動的な部分に労力を掛けすぎなんだよなあ……なんつっても、そのほうが更新気分が出るし。書いてる中身の量は変わらないのにね。ちょっと考え直したほうがいいかもしれません。
■オンラインゲーム(MMORPG)は儲からない(情報源:カトゆー家断絶)
もいっちょ。
MMORPGを中心としたオンラインゲームの業態としての矛盾を鋭く突いた考察。続編もアップされてます。
なんでこの記事を取り上げたかと言いますと、僕が最近MMORPGという形態に対して強く興味を持っているからなのであります。そう、始めたら絶対ハマっちまうと思って今まで手を出してなかったんですが、やってみようかと思い直してるんですよ。
ここから先は一種の思考実験です。RPGというゲーム形態を考えてみます。プレイヤーは、なにを目的としてRPGをプレイするんでしょうか?単純にプレイの到達点、ここまで来たら普通プレイを止めるという地点を考えるなら、それはシナリオをクリアすることであり、エンディングを見ることだといえるでしょう。ということは、戦闘やダンジョンの探索はそのための経過、ないし手段であるということになります。ならばそんな面倒なものを排除して売り出したらどうなります?売れませんね。そう考えると、シナリオもEDもプレイヤーのモチベーションを喚起するための設定目標と御褒美(長期的・短期的の違いはあれ)に過ぎず、戦闘・探索こそがRPGプレイヤーの目的であり、楽しみであるといえるでしょう。考えてみれば、ロール・プレイング・ゲームのゲーム部分とはまさしくこの部分であるわけですから、当たり前の話です。RPGはゲームなんですからね。
ということは、より強くプレイヤーの戦闘・探索へのモチベーションを喚起する作品がよいRPGであるということになります。そのためのアプローチの仕方を分類してみます。まずはエサを強化する方法。シナリオやグラフィックによって、「次が見たい!」というモチベーションを喚起する方法です。次に、戦闘・探索そのものを強化する方法。作業そのものの快感を増し、あるいは苦痛を軽減することで「もっとやりたい!」というモチベーションを喚起する方法です。ゲームの成り立ちを考えれば、後者のやりかたが王道であるといえるでしょう。
もうわかる人にはわかっているかと思いますが、つまりMMORPGとはバリッバリの後者スタイルの体現者であるわけです。大筋としてのシナリオは存在しない。グラフィックも、オフラインで動く大作に劣る。にもかかわらず、多くのプレイヤーの戦闘へのモチベーションを維持し続けているわけです。戦闘と探索のみ(その質が普通のRPGに比べてどうなのかはわかりませんが)によって成立しているRPG。これは、ある意味理想のRPGといえる、かもしれません。
それがいかなる理由によって成立しているのかという考察は別の機会かなにかに譲ることにします。そういうわけで、現状の最新機種のRPG作品にちーとも惹かれない僕としては、今後MMORPGがビジネスモデルとしてどのような進化を遂げるのかにはたいへんに興味があるのです。
ラグナロクオンラインの1ヶ月プレイ権は\1,500で買えます。一日1時間プレイするとすると、1.5kで30時間遊べる計算になる。かなり安いですね。そして、時間をかければかけただけ有利になるMMORPGのシステムからして、ヘビーユーザーのプレイ時間はより伸張し、時間単価は下がり、他のゲームのプレイ時間(と、ついでにリアルに費やす時間)を圧迫します。なるほど。キツいのは睡眠時間だけではなくて、ゲーム業界全体もなのか。