CROSS † CHANNEL考察

その意図したものとは

 最近、FlyingFhine公式サイトのネタバレ掲示板に入り浸っているのだが、そこで疑問されていることを考えるとき、どうしても引っかかることがあったのだ。

 太一たちがいるのがいわゆるB世界、すなわち太一たちが元いた世界の平行世界であるということはINVISIBLE MURDER INVISIBLE TEARS編において美希の口から語られるわけだが、太一の発言に「2つの世界が交差していて、その交差点がこの1週間世界である」といった発言がある。同様の発言は他にもあり、さらには「世界の交差が終わればこの交差点も消滅する」という発言もある。

 おかしいと思わないだろうか。舞台が交差点であるのなら、そこはA世界でもB世界でもある場所でなければいけないはずではないか。なのに、そこは一方的にB世界だ。「交差点」が祠の周辺を指していると考えればこの疑問は解決するが、太一は「帰り道がなくなる」というより「本当に世界が終わる」という風な口ぶりである。「この空がなくなる、その日まで」というフレーズもそれを裏付ける。

 すなわち、作品の舞台は「両世界の交差点であり、いずれの世界そのものでもない場所でありながらその様相はB世界のもの」という場所なわけだ。A世界の住人たる太一たちが交差点のA世界要素なのではと考える人もいるかもしれないが、あの場所には確かにB世界の太一たちが存在した痕跡が残っている。やはり、B世界にA世界の太一たちが紛れ込んだように見える。

 他にも不審な点はある。なぜ、全く同じ状態に戻るはずなのに起こるイベントが毎回異なるのか。サイコロだって風や盤面の状態に投げ方まで全く同じ条件で投げれば同じ目が出る。当然だ。同じ条件なら同じ結果になるはずなのだ。カオス理論だのなんだのを導入するとそうでもないらしいが、ここまでマクロな変動をするはずもなかろう。それぞれのイベントは確率的に起こるくせに、ハッピーエンドになる確率はゼロだという。ちゃぶ台返しだが、祠周辺がリセットを免れているというのも普通におかしい。大体にして、太一の能力がループの説明になっていない。

 両世界の接触、登場人物の意識はA世界、世界観はB世界……ここまで考えて、これとよく似た構図を、実に身近なところに思い付いた。

 

 ゲーム、である。

 

 A世界を現実、B世界を仮想現実と考えるのだ。人物(プレイヤー)の意識は現実のものでありながら、世界観は仮想現実のものである。仮想現実世界の特定の時間(OP〜ED)を切り取った「交差点」で、僕たちの世界は交差している。総プレイ時間は保存されつつも、プレイのたびに世界は「リセット」される。

 そう考えると、上記の疑問も説明が付く。ゲームなら、同じ条件でも乱数制御―いわゆるランダム要素―によって異なる結果が出ることはありうる。用意されていないイベントは決して起こらない。太一とその他のキャラで行動の幅に差があるのは、プレイヤーキャラクターPCノンプレイヤーキャラクターNPCの違いとも考えられる。ランダムにしか行動しないNPCと異なり、PCは自ら行動を(用意された選択肢の中から)選択するからだ。

 他にも、この結論を匂わせる描写は多い。例えば、太一に「真剣身が足りない」のは、ゲームのプレイヤーだからではないかと考えられる。数多いメタ(ゲームの外)ネタもそうだ。版権がどうのだの、高校生はいないだのといったネタは、単に一発ギャグの1つではなかったかもしれない。さらに気になるのが、「冬子ルート」「ハッピーエンド探し」などといった単語。単なるその場限りの皮肉にすぎなかったのだろうか?

 

 もちろん、某コンシューマゲームのように、物語の中の設定までもがゲームそのものだとは思わない。両世界の交差にしろなんにしろ、きちんとした設定があるのだろう。それはまた別に書くつもりだが、それとは別に、シナリオライターの意図としては、この世界をゲームになぞらえていると思うのだ。それによってなにを言わんとしているのかまでは思い付かないが…まさかとっととゲームの世界から抜け出しなさいとかじゃあるまいし。

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