Kanon考察

ていうか批判

 僕はKanonが好きだ。なのにこれからKanonを批判する文章を長々と書こうというのだから変な話ではあるが、ただ話が気に入らんではなんなのでがんばって書いてみることにする。



 Kanonには全5人のヒロインが登場し、各々にシナリオがある。当然それぞれ展開は異なるわけだが、一応のテンプレートらしきものは存在する。

 

 すなわち、

ヒロインと数年振りの"再会"(例外:栞)

楽しい日常

徐々に狂い始める日常(例外:名雪)

日常の崩壊

"奇跡"によるヒロインの救済(例外:真琴)



 という流れである。

 基本的には、前半は不思議オーラ出しまくりのヒロイン達とのテンポよい会話を楽しみ、後半ではどうしようもない不幸が奇跡によって救われるところにカタルシスを見出すわけだ。

 これは特徴的だと思う。何が特徴的かって、主人公の身に何も起きないのがとても特徴的だと思うのだ。

 まあ、主人公がしばしばプレイヤーの分身であり、かつスリルもサスペンスも必要とされない恋愛ゲームにおいてはそれはありうることではある。あるが、攻略対象の女の子にばかり不幸が降りかかって主人公には何にもナシっていう話はこれ以前にはなかったんじゃなかろうか。少なくともメジャータイトルではそうだろう。

 だから、自然とヒロインの救済が話の核になってしまうわけである。特に栞シナリオはその典型といっていい。他ルートではヒロインに対し因縁と負い目を持っている主人公も、栞に対してはいざゲームが始まるまで何の関わりもない。にもかかわらず話は彼女の病気と生死に収束してしまい、結局生き残ってハッピーエンドとなる。こう言ってはなんだが、栞が助かることで主人公に何の感慨もあろうはずがないのに、である。他ルートではヒロインが苦しむ原因を作っているのが主人公だったりするので、思うトコロがあってもおかしくないのだが。要するに、他に落としどころがないわけだ。

 無論、愛する恋人の苦難は主人公にとっても問題には違いないが、ちょっとエンターテインメントの王道からは外れるだろう。本当に痴情のもつれしか書いてない話ならともかく(そういう話なら、栞とくっついた時点でスタッフロールに行くはずである)、これくらいの仕掛けがあれば、大抵は主人公も死にかけるくらいはする。せめて主人公とヒロインの間に何らかの繋がりを持たせるのが筋合いというものだ。(加奈とか。)そうでなければ主人公が救われたことにはなるまい。ところが、Kanonはヒロインの問題が決着して幕となってしまう。なんなんだ。いったい何がしたいんだ、Keyは。

 もう一つ特徴的な部分がある。主人公が何もしないことだ。

 そう、こいつは本当に何もしない。舞ルートでは妖怪退治に手を貸すが、舞が直面している問題は学校の化け物なんかでは全くない。自分を偽っていもしない化け物と戦い続ける舞を救うことは、結局彼にはできない。他のルートではもっと何もしない。秋子さんの怪我に対しても、栞の病気に対しても、真琴の活動限界(っつうのか?)に対しても、あゆの抱える諸問題に対しても、何も。

 もちろん、これらの問題は努力すれば解決できるようなものではない。それにしたってもう少し気概を見せてほしいとは思わなかっただろうか?さすがに無抵抗に過ぎる。

 ところが、それでもヒロインは救われてしまう。無力な主人公が悲嘆に暮れるのを見つつEDを聞いて、画面が切り替わるとなんだかいつの間にか丸く収まっているのである。(真琴は消えちゃったけど。)そして栞の元気な姿にぼろぼろ涙をこぼしつつも思うわけである。なんなんだ、何がしたいんだ、Key。



 で、つまるところKeyは許しをやりたかったのではないかと思うのだ。



 主人公=プレイヤーに与えられるのは、救いではなくむしろ許し。そう考えれば不幸を主人公ではなくヒロインに背負わせたのもうなずける。

 つまり、ヒロインは被害者であるべきなのだ。主人公はヒロインに対し(半ば一方的に)罪悪感や責任を感じ、ヒロインが救われることによって自らは許されたと感じる。そこにカタルシスを求めたのではなかろうか。どうもこの辺、ONE(未プレイだが)のヒロインに欠落者が多いのと通じる気がする。みさき先輩とか。

 また、ヒロインが救われるのは全く唐突で、伏線も理由も一切ない。というか、恐らくは故意に書いていない。それがつまり、無条件の許しであったのではなかろうか。

 これがあゆシナリオ以外なら、一応あゆという"言い訳"が存在する。これも後で書くつもりだが、Kanonの舞台は半ばあゆの夢の中であり、創造主であるあゆは願いを叶える存在となっていると考えられる。これでも十分メルヘンチックだが、それでも「あゆが願いを叶えたから助かった」という説明ができる。"夢の世界"だからありえた救済に過ぎない。

 しかし、メインシナリオであるあゆ編ではその言い訳すら通用しない。自ら主人公に別れを告げたあゆが自身を目覚めさせたという解釈は、何とか理屈は付けられるが根拠薄弱だ。これはまごうことなき"奇跡"であると言わざるを得ない。少なくとも、そこに多少なり論理的な説明を求めるのは難しかろう。

 ここに、夢の世界ユートピアと現実が合一する。例え主人公が全くの役立たずだろうが、どこを探しても助かる要素が見つからなかろうがあゆは目覚める。ならば半端な伏線など張る必要もない。絶対・無意味・無条件の許しがそこにある。



 だとすれば、問題はそれをプレイヤーが受け入れるかどうかだ。

 僕は納得が行かない。無論自分が主人公と同じ立場に立ったとしたら文句の出ようはずもないが、これはフィクション。重要なのは面白いかどうかだ。

 やはり物語の主人公たるもの、愛する女性の不幸に対して敢然と立ち向かってナンボだろう。ハッピーエンドには努力の成果としてたどり着くのが筋というものだ。例えどうにもならなかったとしても、何もしないのに万事解決したのでは感情移入のしようがない。何もできないなりの描写があってもよかったのではないだろうか。願ってるだけじゃ、ねえ?

 僕が個人的に好きなシナリオは栞と真琴である。この2人のシナリオは、栞が倒れるまでの巧みな運びと真琴が安易に助からない結末でそれぞれ思いっきり泣かせてくれた。が、肝心要のあゆシナリオは完全に期待外れだった。消えました生きてました起きましたでは頭が付いていかない。(そういう意味では予想を裏切る展開だったといえるが。)確かにKanonの集大成と呼べるシナリオではあったが、そのぶんKanonの抱える矛盾を一手に引き受けてしまったともいえる。

 名雪シナリオがつまらんとか(名雪が嫌いなわけではないが)、舞シナリオのラストが強引とかはまだよかった。しかし、あゆシナリオではもうひとひねりを見せて欲しかったのだ。もし納得行くやり方であゆを救ってくれていたら、僕はシナリオ評価に9点を付けたろう。

 しかし、Kanonは僕の勝手な期待には答えてくれなかった。

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