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Diary/2005-10-14

[雑談]ツンデレ=神秘論

 Operation:Mindcrime: ツンデレ大全が面白かった。未だに買ってなくて、つーかぶっちゃけ買う気なくて申し訳ないんだが、ツンデレに金髪外人が多いのは敗戦がどうこうじゃなくて単に異国だからじゃないかなと。じゃあ黒っぽい人種はどうなんだよっつー話になると、ラテン系やヒスパニックは気候あったかいし、アジア系はなんか民族的源流感あるし、アフリカ系はそもそもいねーし。プラチナブロンドになると神秘が行きすぎて不思議ちゃんになったりするわけだけど(北欧出身のペコネンが気弱キャラなところになんかQ-Xの優しさみたいなもんを感じなくもない)、まあ敗戦が関係ないわけはないにしても、わりと異人さんってだけで理由付けとしては充分な気がする。
 じゃあ大和撫子はどうよって話になると、それは空間的隔絶と時間的隔絶の違いでしょう。どのように「離れている」かというのは、幻想を醸成する効果に、少なくとも絶対値的には関係がない。お嬢様がツンデレなのも当然だし、薔薇乙女がツンデレなのも納得できるわけですな。してみると、謎の組織のエージェントとかのキャラがツンデレ気味になりやすいのは、使命感がどうこうとかよりそこに「謎」があることが重要なのかもしらんね。
 さて、そういや未来人のツンデレはあんま見ねえな。や、タイムスリッパーのサンプルがそもそもそんなにないっつーのはあるけど……。これは思いつきだけど、マジで女の子が幻想そのものだとデレが発生しねえよ! っていうことなのかもしれない。自分達を傷つけない範囲で何とかリアリティを追求(現実との整合)して行った結果がツンデレなのだってところに繋がる鴨。
 つまり、典型的な和風ツンデレを考えるなら、彼女は武士道という幻想に帰依しているがゆえに純情と裏腹の高貴さを持ち得ているわけだけど、主人公と結ばれる際には「こんないい加減な男に――!!」 みたいな感じで、幻想から脱却してしまう。ああ、これは、とんでもねー欺瞞ではあるまいか。じゃあ最初っからデレでもいいじゃんかよ。
 彼女はあくまでも「現実」の存在であり、単に精神的にというか文化的にというか、「幻想」に帰依しているだけであるからこそ、主人公と結ばれる余地が生ずる。和風ツンデレにとっても武士道は幻想でしかないわけだ。例えばその溝が人種であったとしても、結局は同じ人間であるという前提あればこそ洋風ツンデレは成り立つ。『ローゼンメイデン』が積極的にマスターとドールの共通性を打ち出してきているのは極めて理に適った物語展開であることになる。
 ええとだね、話を戻すと、つまり、文化的に時間軸が過去寄りの女の子が和風ツンデレだとしたら、時間軸が未来寄りの女の子というのは……ハカセキャラか? インテリツンデレ。分からんでもない。しかしいまどき未来=科学ってのもアナクロなイメージだよなあ。そもそも未来から過去側に歩み寄らせるというのはネガティブなイメージがなきにしもあらず。あーあー、和風ツンデレってそういう意味でも使いやすいわけね。英国が舞台の物語で英国人ツンデレが成立しづらいのと同じ理屈だ。ちょっと嫌な考えになったが、まあ流行るパターンてのはそういうものでしょう。好きなもんは好きだし。

 と、ここまで書いて気付いたが、以上は「ツン→デレ移行型」(また適当なテクニカルタームを)の話だ。じゃあ「ツン⇔デレ切替型」の場合はどういう捉え方ができるか考えてみよう。
 委員長属性のキャラクターを想定しよう。周囲のイメージはステレオタイプな、厳格な優等生の学級委員長。しかし主人公は彼女が実は普通の女の子らしい一面を持っていることを知っている。恋人である自分の前での彼女は恋する女の子であることを知っている。
 この場合の幻想は「厳格な委員長」であり、「謎」は「委員長の私生活」といったところだろうか。主人公はすでに幻想を脱却しており、謎を解いている。しかし周囲の人間はそれを知らない。つまり、彼女が本当に「幻想」そのものの人物であるのか、本当に「謎」を持っているのかはあまり関係がない。周囲の人間がそれを信じている――知らないものを信じているというのもおかしな話だが、それが重要だ。
 少しパターンを変えてみよう。今度もやはりサンプルは真面目な優等生だが、ポーカーフェイスがヘタクソなために主人公とデキていることは周囲にバレバレ、持たれているイメージは「素直になれない不器用な女の子」といったところ。では、「厳格な委員長」という幻想を信じているのは誰か? 彼女自身だ。

 つまり、ツンデレが成立するのに、ツンデレの神秘性が真実のものであるかはあまり関係がない。というか、よく分からないから神秘であり幻想なわけだが、彼女が実は見たままの存在であっても問題はない。誰かが彼女の神秘性を信じていればいい。その誰かは、第三者であってもツンデレ自身であっても、主人公であってもかまわない。誰かが信じていればそこに幻想と現実のギャップが存在しうる。当然、、全てを俯瞰できる我々にも。
 うーん、しかし、こいつはなかなか……都合のいい概念だ。

[雑談]「いわゆるオタク」でいることの苦しみ

――その苦悩が本来のオタクとしてはありえないが故に、あるべき所以がない故に、苦悩するのである。

 う    わ   あ        あ       あ

 軽くショック。

 あたりで諦めてたが、全部読んだ。

 長えよ!

 で、夜更かしして早朝に書いてるし、実際のとこどうかは分からんが、問題意識としてはこれだ、たぶん。
 つまり、今や、「セクシュアリティとしてのオタク」も、「非モテツールとしてのオタク」しか選択できない。ゆえに「ありえない事実」である非モテに苦しまねばならない。
 リクった人の言葉で言えば、「セクシュアリティとしてのオタク」=ほんとのオタクであり、「モテツールとしてのオタク」=なんちゃってオタクである、が、ほんとのオタクですら、「非モテツールとしてのオタク」になってしまっている。事実として。
 ほんとのオタクの資質のある人が「非モテツールとしてのオタク」になると、自己疎外に苦しむことになる。容易に改変できない自己が日々更新される自己として扱われることに苦痛を覚えることになる。
 ならば「セクシュアリティとしてのオタク」、つまり、「オタクっぽい」じゃないオタクになればいいんだけど、連綿と受け継がれてきた「セクシュアリティとしてのオタク」は、新参が内面化して取り込むには肥大化しすぎている。だから細分化する。「オタクっぽいもの」へと。SEEDしか知らないやつはガノタじゃねえ、みたいな。いやそれは俺も言うけどさ。けどガンダム全作品は見られんよ。
 とはいえ、この辺がものっそい話が乱暴なところだと思うんだけど。随分昔からアニオタとゲーオタは別だったろうし、その区切りが10,000倍くらいになったところで何か本質的な違いはあんの?とも思う。だからこれはつまり、認識の問題だ。認識のズレが問題だ。

 思ったんだけど、非モテ界隈のオタクブロガーって、一転集中型のオタクが多くない? 俺なんか仮面ライダーBLACKで特撮にハマって以降アニメ→ゲーム→漫画→ラノベ→エロゲ→同人誌→フィギュアっつー具合でわりと関心の中心は移り変わり気味なんだけど、んでだんだんシャレの利かない方向に行ってるのがまた救えねえんだけど、そういう意味では「オタク的なスタイル」みたいなモンへのこだわりはあんまりない気がする。Webサイトくらいかな。そして、どんだけ金と時間の使い方が変わっても結局はヲタみたいな確信はある。今は興味の中核がエロゲだからエロゲヲタを自認してるけど(エロゲヲタというアイデンティティだ)、それ以前にまずオタクだというのはある。
 けど、逆に例えば歴戦のシューターみたいな人だったら、ゲーセンに通ってシューティングやり込まなくなったら俺もうオタクじゃないんだろうか、みたいな、セクシャリティからアイデンティティへの遷移が起こりやすいのかもしれない。自己認識としてだ。

 つまり、「オタク性を外部に委ねる」ことなく、素直に自分のセクシャリティを見つめることが「非モテツールとしてのオタク」脱却のための正道であり……ってなんだこの毒にも薬にもならないオチ。

[雑談]悪くはないが恥ずかしいということ

 オタクであることは悪くはないが恥ずかしい。
 そもそも中森明夫がオタクをおたくと呼んだとき、そこには侮蔑の意図があったとされる。オタクであることが悪でないのは俺がオタクであるからして信条として主張するが、オタクであることはやっぱり恥ずかしい。いい年こいて子供の遊びにうつつを抜かしているのが恥ずかしくないはずがない。

 同様に、2ちゃんねらーであることも悪くはないが恥ずかしい。これはもう恥ずかしいに決まっている。なんだあれは。まさに便所の落書きと言うにふさわしい。そしてだからこそ面白くもあるし、だからこそ発生しうる価値もあるのだけど。

 自分を恥ずかしいと感じない、思わない、そういう態度。これは「モテ」だ。「普通」であり「一般」であり「多数」であり「現代」でありつまりは権力だ。
 自分を恥ずかしいと感じられる能力を失ってはならない。そうした瞬間に、我々は「敵」に立ち向かう資格と術を失う。
 「非モテ」が「モテ」化したときには、何かが失われていると考えるべきだろう。

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きゃっと・ふぃすと