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Diary/2005-11-14

 今日はバイトの面接行ってきた。
 体が労働に近付くと脳が妄想を欲する。そんなわけでクソ長ったらしい説明を受けてる間に思い付いたこと。

[エロゲー]君が望む永遠とスクールデイズと三角関係

 ちよれん各社ってなんだかんだとそのとき求められてるものをきっちり出して来てると思うんだよね。
 ファントム然り。君望然り。D.C.然り。マブラヴ然り。デモベ然り。スクデイ然り。

 で、『School Days』に求められたものが何かっていうと、もうオーソドックスなヒロイン攻略型AVGの表現は限界に近い、その閉塞感の打破だったと思うのさ。個人的にはまだまだ掘るところはいくらでもあると思ってるけど、まあいい加減旨味が少なくなってきてるのは事実でしょう。

 AVGの限界とはなにか。もっと限定して、恋愛AVGの限界とはなにか。
 それは恋愛を描きにくいことにある。Report/萌え論:「漫画とギャルゲーにおける萌え技術の違い」で書いたように、AVGにおいて主人公とヒロインの「関係」を描くことは難しい。ならばエロゲーは何を描いているかというと、主人公のヒロインへの愛を描いているに過ぎない。それが悪いとは口が裂けても言わないが、そこに不自由があるのは確かだ。

 『君が望む永遠』は、相変わらずコンプせずに喋るんだけど、あれは三角関係じゃないのかというとそれは違う。君望には下克上しかない。君望には「孝之は遙が好き」「孝之は水月が好き」という独立した事実があるだけだ。いわばV字関係だ。
 なぜそうなってしまったのかというと、遙が事故に遭ったからだ。そこから下克上の連鎖が始まる。彼女たちは決して競い合わない。殺ったもん勝ちだ。正面からブン殴ってライバルを斃したのはあゆ様だけだ。あゆ様最高。マジ愛してる。
 それにしても、遙の事故、あれマジで天才的だよね。あれがなければ君望には三角関係が生まれていた。AVGで三角関係を描いてヒットを飛ばすのは難しかったろう。恋愛ゲームの基礎である「ヒロインを選ぶ」という作業、その新たな形を模索する中でそれはまさにたったひとつの冴えたやりかただった。
 君望は結局、孝之の主観に徹した。「どちらも愛しているから、選べない」という、優柔不断と自己満足。しかしそれは恋愛AVGの主人公としては正しい。俺たち3人の関係はどうなるんダー、とか考え始めると視点が崩壊してしまいかねない。

 『スクールデイズ』のソリューションは全然違う。正反対と言ってもいい。「アニメにすりゃいいんだ!」 客観視点なら三角関係を描ける。スクデイで描かれているのは、二人の少女が刃鳴散らす、血で血を洗うラヴバトルだ。言葉と世界の間を行ったりきたりさらに浮気したり、ヒロイン選択のゆらぎを存分に楽しめる。
 そしてこの際、誠が感情移入不可能ほどのタダの馬鹿に見えるのは必然なのだ。むしろヘタに感情移入なんかされると困っちゃうんである。誠には基本的にモノローグがない。奴が言葉さまと世界さんを秤にかけて悩んでるのかどうかは知りようがない。それでいいんだよ。だからこそスクデイのヒロインは主人公を寝取る権利を持ち得たわけさ。君望で孝之をガツンと寝取ってみせたヒロインがいたであろうか。水月はそう見えないこともない。でも孝之は遙を抱けなかったんだよ。やっぱりへっこくらべでブッ倒さなきゃならない。

 誠は作品の当然の要請によって非常識な(少なくともエロゲの常識においては)DQNヤローになっている。誠は孝之に比べ、遥かに「被観察者」としての要素が強い。じゃー、スクデイにおいて、最も事態を傍観し、最も状況を把握し、最も常識的(爆)なキャラは誰か。せっちゃんですよ! 刹那こそはスクデイの影の主人公(視点人物)なのだ!!!!
 『Summer Days』でフィーチャーされるのはどうしても刹那でなければならなかった。他の誰も刹那の役割は代われない。っていうか刹那かわいい。ハァハァ。

 結論すると、あゆ様とせっちゃん最高だよハァハァ。

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きゃっと・ふぃすと