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Diary/2005-12-07

[雑談]アイドルマスターとアイドル

 前にメガネっ娘アイドルという記事を書いたんだけれども、以来その関連でアイマスこと『アイドルマスター』が気になっている。プレイする気はないけど。ゲームとしての文脈での興味はそれはそれであるのだが、この激しく古臭くも思える「アイドル」というモチーフが今になってフィーチャーされたのはなぜなのかということがとても気になる。

 前回の記事は、現代のアイドルは神秘性を保つのが難しくて、そこを補助するツールとしてメガネが用いられているという話だったんだけども、そこで親近感という言葉を使ったのはちょっと失敗かなと思いつつ他にいい表現も浮かばなくてそのままうpしたのはやっぱり失敗だった希ガス。とはいえ相変わらずぐっとくる単語はないんだけども、「象徴性」に対する「具体性」というほうがより適切かなという気はする。

 で、アイマスなのだが、なんせプレイしてないし、極めて漠然とした印象しかないのだが、プロデューサーというのがキモなのかなと思う。アイマス自体は古き良きヒロイン育成ゲームの系譜といっていいし、「アイドルを育てる」ゲームはアイマス以前にもいくらでもあったと思う。ちょっと具体例が思いつかないが。
 しかし、かつての「アイドルゲーム」というのは、憧れのアイドルを手元にというの根本的なモチベーションであったように思う。これは何も育成ゲームに限った話ではなく、要するにアイドルは高嶺の花であって、それを身近に感じられることがアイドルものの魅力であったはずだ。だからアイドルに対置される主人公のポジションはマネージャーとか同級生だったのだろう。
 これがプロデューサーになるというのはどういうことかというと、もちろんアイドルより上の立場ということになるわけだ。また、プロデューサーはただの小娘であったアイドルを知っているわけで、またあるアイドルは手がけた大勢のアイドル(候補生)たちの一人にすぎないということになる。見たところ飛びぬけた天性の才能の持ち主として描かれているキャラクターもいないようだ。むろんこれだけ人数がいればそういうことになるのは当然だが、逆にアイドルのアイドル性がそういうものとして自明に受け取られているということでもある。
 つまり、アイマスにおいては「アイドルであること」そのものの無謬性というか、神聖視というか、そういうのは破棄されていると思われる。パイタッチもだから神聖なるものを犯すといったような大仰な意味合いは帯びさせられていない。それはつまりコミュニケーションなんであって、アイドルはセクハラ込みでコミュニケーションを取れる存在であるとみなされている。

 むろん、それではアイドルはアイドルたりえない。じゃあ何がヒロインをしてアイドルたらしめるのかというと、「ファンの数」であるとされている。ゲーム中では「アイドルランク」として扱われているが、これは単なるゲームの成績の指標ではない。公式サイトにある一定の期間内に次のランクに上がることができなければ、その時は、プロデュース途中でも、即活動停止してもらうとあるように、アイドルとして活動し続けるための必須の条件なのである。
 ただの女の子に過ぎないヒロインが、ファンの支持によって「アイドル」になる。もちろんファンの支持を得るためにはプロデューサーの努力が必要になる。
 先にアイマスは古き良き育成ゲームの系譜であると書いた。ゲームシステムを見れば当然そういうことになる。しかし、アイマス公式サイトを見ると、「育成」という言葉がどこにもないことに気付く。アイドルのアイドルたるべき資質がヒロインの内に備わっているという考え方はここには見られない。ゆえにproduce。ゆえに、ヒロインに積み重ねられるステータス上昇は「歌唱力」ではなく「ボーカルイメージ」であり、「テンション」と「コミュニケーション」の良し悪しが問われることになる。そういえば「疲労度」ステータスもないようだ。つまり、ヒロインの潜在的な能力を十全に発揮させることは求められない。

 アイマスのヒロインは自得的にアイドルであるのではない。しかし、膨れ上がるファンの数がアイドルランクとなってヒロインを伝説の高みに押し上げる。ここでは、従来とは逆に、元々は身近だったヒロインが偶像化する働きが見られる。最初から偶像性を持つアイドルというのは陳腐なのだ、今となっては。
 そして、手塩にかけたアイドルが引退したとき、プレイヤーの手元にヒロインは残らない。アイマスはコンシューマでは成立しなかったと思う。クリアデータが手元に残るようではダメだ。せいぜい思い出と写真とメールくらいでなきゃならない。
 2chアーケード板のアイマス関連スレを眺めると、プレイヤーキャラをプロデューサーに設定した効果のほどを感じることができる。特別でない女の子が伝説へ昇華される過程、それによって「普通」と「伝説」が同居しているのがわかる。その「伝説」の内実はまさにプロデュースによって生み出された虚像に過ぎず、それを浮き彫りにするゲームデザインがなされているはずなのだが、「普通」という具体性を徹底して掘り下げることによってテレビに映るヒロインの神秘性を際立たせているようだ。そしてそれこそが理想のアイドル像に他ならない。

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※一応『こみっくパーティー』ネタバレ注意。
 アイドルの話を考えるときにいつも思うのが、こみパの桜井あさひは、なんというか、過渡期のキャラクターだったんだなあということなんだよね。あさひは、ファンに求められる自分が本来の自分ではない虚像であることに苦悩するわけだけど、その虚像を演じ切れることはあさひの才能としてわりと肯定的に描かれていて、要するにあさひは天性のアイドルだったりする。
 なんちゅーかそのへん、アイドル像の転換点に立ってる感じがして、こみパリリースの翌年にモモーイが本格デビューを果たしている事実にこじつけたくなる。

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きゃっと・ふぃすと