Diary/2006-06-13
[エロゲー]『Fate/stay night』における主人公とヒロインの対立
ネタバレ注意……必要かなあ。
エロゲーの主人公はヒロインのために戦う。
というのは、当然チャンバラやドンパチを意味するのではない。なにがしかの障害を乗り越えることを指す。
障害を乗り越えるとは、ゲームシステム上においてはフラグを立てることに他ならず、それはヒロインの物語における「変数」を動かすことを意味する。
つまり、主人公がヒロインにコミットする。
エロゲーのシナリオにおいて、主人公がヒロインにコミットすることは多いが、ヒロインが主人公にコミットすることは少ない。
コミットするとは、好意を向けることとは異なる。相手固有の物語の変数に対して影響を与えることである。エロゲーの主人公の多くは、固有の物語をそもそも持たない。
陵辱ゲームの主人公は、固有の物語を持っている場合が多いようである。簡単に言って、各ヒロインのルートによって、辿る運命が変化することが少ないから、そのように解釈できる。
陵辱ゲームの主人公は、自らの物語にヒロインを巻き込む。描写としてのエロさとは別に、物語としてのエロさが、そんなところにあるのかもしれない。
しかしながら、ヒロインの物語に巻き込まれることにもまた、受動的なエロスがある。両面を満たそうとするのが現在の流れだと俺は考えている。
『バルバロイ』に不満があるのはそういう面においてで、自らの身勝手な復讐にヒロインを巻き込むのみならず、アスカもまた詩織の物語に巻き込まれるべきだった、ということ。
Fateセイバールートの名シーンのいくつかが、上記を踏まえて説明できると思う。
例えば、ライダー戦におけるセイバー召喚シーン。セイバーを使役する士郎の立場からすれば、セイバーを戦わせることは、セイバーの物語に自分が付き合うのみならず、自らの道にセイバーを付き合わせることをも意味する。雑な言い方をすれば、意味合いとしてはセイバー純愛ルートとセイバー陵辱ルートのフラグを同時に立てたようなことになる。すごいアクロバットだ。
そして実際、セイバールートにおいてはセイバーと士郎の物語が同時並行的に進行する。夢を通じて両者の過去は交雑していき[1]、ギルガメッシュ戦の後、ついに二人の道の交点、そこから伸びる一本の道が見出されることになる。正直、感傷的なわりにいまいち意味のわからんシーンだと思っていたのだが、言峰教会での士郎のトラウマほじくりを経て、二人の物語の相克が解消され、真に同じ道を歩み始めるシーンだと思うと納得がいく。
2回あるエロシーンの意味合いの違いも分かる。2回目のエロシーンは恋物語の結末であり、エロゲーにおいてはクリア報酬であるご褒美エッチ的なニュアンスがある。対して1回目のエロシーンは、抜きゲー的な、物語・ゲームシステム上の意味の薄いシーンである。(魔力補給は正義か悪か?/魔力補給は正義か悪か?(2))
つまり、1回目は士郎の物語上の、2回目はセイバーの物語上のエロシーンだという解釈になる。まさか士郎がセイバーを陵辱するわけにもいかないので、そう考えると合理的なような気がする。(聖女陵辱は「士郎から引き離されたセイバー」というより「セイバーを奪われた士郎」の軸上に存在するシーンだろう。)
話を少々戻す。主人公とヒロインの相互コミットメントという観点で見ると、士郎がセイバーを救ったようには、セイバーは士郎を救っていないようである。まあなんせセイバーは成仏しそこなった幽霊なので、あんま士郎の生き方に影響を与えていない。セイバーの道は途切れ、士郎の道は……あるいはアーチャーに続くのかもしれない。
凛は、士郎をアーチャーに向かわせないようにする。凛ルートで攻略されているのは、実は凛ではない。(だから魔力補給エッチしかない。)士郎が攻略してるのは誰かというと、アーチャーである。凛ルートがほとんどアーチャールートであるのは明白だが、凛にしてみれば士郎ルートだということになる。で、士郎=アーチャーなので、ややこしい。
桜ルートは分かりやすい。士郎は桜を(一応)救い、桜は士郎を捻じ曲げた。あくまで士郎が主人公であり、桜の意思が介在しないため、一見普通のエロゲーのように見えるかもしれないが、ここでは双方向的な、主人公とヒロインの対立と相互コミットメントが描かれている。(そして、主人公の物語を描く上ではヒロインにも選択肢を与えるべきだということに気付いた人が『あやかしびと』を作っている。(『Fate/stay night』はセカイ系か))
Fate以前とFate以後を分ける決定的な要素は、このヒロインからのコミットメントであろう。
- [1]『Kanon』などを見れば、二人の夢の交雑は、士郎がセイバールートを、セイバーが士郎ルートを辿ろうとする過程だと解釈できそう。というか、セイバーにとって聖杯戦争自体がまさに「夢の中」の出来事であるわけだけど。「ルート分岐後に思い出が生成されている説」も面白い。