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Diary/2006-03-26

[漫画]ネギまはラブひなよりカードキャプターさくらかもしれない

 『カードキャプターさくら』の面白さは決定的に主人公の木之本桜だと思うんだけど、それは本人の魅力がどうとかより彼女の持つ幸せフィールドが世界観の中心から作品を支えているのだー、みたいな話を『リリカルなのは』叩きに絡めて書いたことがある。

 ハーレムものの作品を表現するときに「箱庭的」という言葉が使われることがままあると思うんだけど、これはその理屈に近いんじゃないだろうか。誰か一人を絶対的中心に置いた世界観は閉じて安定する。
 当然『ラブひな』も景太郎を中心とした世界には違いないんだけど、アレの場合ひなた荘という物理的な結界があるからねえ。だからこそ「景太郎が(成瀬川らを残して)ひなた荘を出て行って、戻ってくる」という展開が可能になるわけで、景太郎の求心力はさほど強いものではなく、物語を破綻させずに引っ張る力は彼にはないように思われる。
 『魔法先生ネギま!』の場合、景太郎がひなた荘の管理人であるようにネギは3-Aの担任であり、教室という中心地が存在することはする。しかし、ネギとクラスの面々は、先生と生徒という関係でありながら、むしろ教室の外において関係を進展させるケースが多い。これはネギの持つ中学校教師/魔法使いという二面性に関係している。

 『さくら』においても、主人公のさくらには昼と夜で別の顔がある。昼には普通に小学校に通い、夜にはカードキャプターとして怪事件を追う。しかし、物語の終盤にはわかることだが、さくらは昼でも夜でも万人に愛されていて、全方向からの愛を受けて成長していく物語的方向性に差異はない。あんまりにもみんなに愛されているもんで、さくらは自身が世界の中心と化していて、物理的中心地すら存在しない。
 『ネギま!』においてはやや事情が異なる。ネギもまた中学校教師という昼の顔、魔法使いという夜の顔を持つが、(そうか、こいつ魔法少女だったのか)夜のネギには敵が多い。もちろん味方も多いのだが、打倒すべき壁として存在するキャラクターがあまりに多い。しかしそれゆえに、そこには葛藤と超克のドラマがあり、そこで生み出される物語がネギと生徒たちの関係をも動かすことになる。

 両者の違いを整理するなら、『さくら』の物語が究極さくらが愛されていることそのものであるのに対し、『ネギま!』においてはネギ自身が背負い突き進む道が物語となっている、ということだろうか。
 つまり、『さくら』には「みんなさくらが大好き さくらもみんなが大好き」という作品全体の維持のために絶対必要な真実を破綻させる要素が基本的に存在しないことになる。ゆえに、桃矢が兄としてさくらを愛していさえすれば、他の女と寝ようが男と寝ようが問題は顕在化しない。
 しかし、『ネギま!』においてはネギ自身に固有のドラマがあるため、極端な話、ハーレムが崩壊してもストーリーは作れるだろう。ネギは教室に依存していないわけだ。本編中で明日菜がしばしば覚える不安はまさに、ネギが自ら中心となって形成している幸せフィールドをほっぽって飛んでいってしまうことへの不安である。しかも、この世界にはナギというもう一つの中心核があり、その両方を知るエヴァなどの人物もいて、ネギ・スプリングフィールドだけが幸福の世界ではないことが示されてしまっている。
 そうした危険因子があるために、ネギの周りの女の子たちはあらん限りの愛情をネギにぶつけ、『ネギま!』世界の神が民を捨てないよう、縛り付けておく必要があるのだ。
 そういうわけで、ネギと無関係なところでのカップリングは、この作品においてはちと難しいと思う。

[アニメ]なのはハーレムアニメとしてのリリカルなのは

 以上のような観点から、『魔法少女リリカルなのは』のなのはは世界の中心として出来が悪いというようなことを以前書いた。
 なのはの結界力の弱さは世界設定にも現れていて、あの世界にはなのはが決定的に属せない異次元世界がある。
 もしなのはがさくらだったら、知り合いは皆友達+友達の友達は皆友達コンボによって外道かーちゃんプレシアとすら愛し合ってみせただろう。それがさくら的に正しい世界観であり、さくらの巨大な固有結界幸せフィールドの持つべき威力というもの。
 しかし、なのははプレシアと愛し合えず、プレシアを救えず、プレシアを幸せフィールドに引き込めなかった。俺はハッピーエンド至上主義者ではないんで、それ自体悪いことだとは思わないが、なのはにしろフェイトにしろ、プレシアの悲劇について葛藤し、そこに物語を見出しうるようには描かれていないと思う。それじゃあんま意味なくね?

 というふうに考えたのかどうか知らないが、続編である『魔法少女リリカルなのはA's』においては、所詮元がサブキャラであるなのはに登場人物全員を虜にするほどの求心力はないことを前提した上でこの問題の解決を試みたように見える。
 要するに、敵キャラ全員を直接身内と接触させちまえばいいわけだ。この際、フェイトをネットワークに加えて結界を拡大する処置は必要だったといえるだろう(ほんとはなのはがピンチのときだけ颯爽と現れたほうがカッコいい気がするけど)。天涯孤独ゆえに自由な身の上のフェイトは、なのは・小学校・時空管理局の三者を結ぶリンクとして機能するかもしれない。序盤しか観てねっからわかんねっけど!
 でも、基本が裏社会の人間であるフェイトがアリサ・すずかと接触することで、無印で感じた、なのはの幸せ結界から弾かれるアリサ・すずかの構図は如実に緩和されているように感じた。ほら、俺はよく知らないけど、高町家の人って妖怪退治とかやるんでしょ? あれ、古流剣術? ともかく、わりと裏社会に引きこもりがちな素養はあるんと思うんだよね、なのはさん。
 ちなみに、『さくら』においては、知世ちゃんがさくらのトンデモ魔法にロクに興味を示さずにひたすらエロ魔女っ娘コスをカメコしてみたり、さくらの魔法的素養にライバル心を燃やしていたはずの小狼がさくらに骨抜きにされたりすることによって、「世界の裏を知る特別」といったようなものの臭みを巧妙に消している。本当によくできてる。これがなのはだと秘密の特訓をしてしまうんだなー。それはそれで一つのやり方ではあるけど。

 というか、そもそもフェイトとラブラブしてんのはハーレムアニメ的にアウトだよなあ。フェイトED後かい。

通りすがり - (2006年03月28日 01時54分08秒)

なのはは少女漫画ではなく(往年の)ジャンプ漫画ですよ。
ですから、ラスボスは倒すべき敵であり、中ボスは将来の味方ですw
ラスボスが救われるなんて展開はジャンプでは少数派かと?
似たような設定(と言うか、元々さくらのパクり)ですが、熱血漫画と
少女漫画を比較して、少女漫画的な要素で優劣付けられても……

さくらは戦闘シーンが燃えないから駄作とか言われたらどう思います?

もりやん - (2006年03月28日 02時23分15秒)

なのはをどういう文脈に位置づけるかというのは、生理的忌避感が影響してしまって俺にはとても難しいんですが、あれは少年漫画ではないと考えます。ジャンプ的な敵の強さのインフレ機構にフェイト&プレシアを組み込むのは無理だと思うんですね。
アニメ第一期のオチは「フェイトちゃんとお友達になれた」でしょう。「大魔女プレシアを打ち倒した」ではない。ジャンプ漫画に結び付けるよりは、「大ボス」クロウ・リードと和解するさくらに引っ掛けるほうが自然に感じます。
であれば、強敵と書いてともと読むフェイトの母親であり、また根っからの悪人でもないプレシアをなぜ「大ボス」と切り捨てられるのか。それは高町家の無邪気なほど強固な信頼関係と表裏であると思います。

どうしても救われない人間がいることは、物語的には欠点でもなんでもありません。しかし『リリカルなのは』は「身内」と「それ以外」の線引きが不用意すぎるように思われるんです。いやまあ戦闘シーンのテンポが悪くて嫌いとか色々個人的嗜好なアレはあるんですけど!

通りすがり - (2006年03月29日 03時22分42秒)

プレシアを切り捨てたとありますけど、なのは達が切り捨てたのではなく、彼女自身が現実を切り捨てたと考えるべきかと?
なのはの世界は「魔法」はあるけど万能ではありません。
奇跡なんて欠片もなく、辛い現実に直面した時は正面から受け止めて、乗り越えるしかありません。
それができなかったプレシアは最後まで現実から逃避したわけで、そんな彼女を救う術が無かったのも、あの世界の現実です。
もし、安っぽい奇跡が起こって、みんな仲良くハッピーエンドとかやられたら世界観ブチ壊しなだけかと?
こういうとこが少年漫画っぽいと思うわけです(るろ剣とか幽白っぽい感じ?)。
つか、意見が対立した時にガチバトルで白黒付けるって時点で、少年漫画というかジャンプ黄金パターン。

もりやん - (2006年03月29日 09時48分16秒)

切り捨てたというのは、なのはがというのもあるんですけど、作品全体としてということでもあります。目の前にいるフェイトを認められない許せないプレシアに対し、そんなプレシアを認められない許せないというところに簡単に落ち着きすぎるんですよね。

ていうか、それがドラマツルギーとして正しいことは分かるんですよ。ただ、異物に対して同質化しか選択肢を持たない了見の狭さを批判しているわけです。だからA'sのフェイトはほとんど普通の小学生みたいになっちゃってるわけでしょ。例えばフェイトが、母の贖罪のため、更なる悲劇を防ぐため、かつての仇敵・時空管理局に飼われ戦い続けるハードボイルド魔道士になったらなのははちゃんと友達やってやれるのか、そこに対する想像力の欠如がある。そういう範囲の狭い「みんないい人」センスが全体を貫いていて、それが結局プレシアの最期に分かりやすく象徴されてると思います。
まあ結局、俺がどうしても好きになれないっていう話なんですけどね。

通りすがり - (2006年03月30日 00時51分21秒)

>まあ結局、俺がどうしても好きになれないっていう話なんですけどね。
好き嫌いは誰にでもあると思いますし、それが悪いとは思いません。
ですが、嫌いだからとは言え、安易に酷評するのはどうかと思ったわけです。
とりあえず、これ以上の議論は平行線でしょうから、今回で失礼します。
お騒がせして申し訳ありませんでした。

もりやん - (2006年04月06日 13時57分06秒)

基本的に、ここがおかしい!という批判はしていないので、話がまとまらないのは致し方ありますまいな。どうしても嫌悪感が先に立って、冷静な分析ができず、ここがキライ!という話になってしまっているので。
俺の中できっちり決着を付けたい作品ではあるので、A's全部観たらまたなんか書くと思います。

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