9/6(Mont):夏コミ販売『LOSTCHILD COLLECTION』感想

 スペシャルディスク&設定資料集という内容。発売前なのにコレクションという暴挙と3000円というそこそこ張る値段に当然のごとく非難が集まりましたが、まあ内容的にはボチボチでしょうか。

 スペシャルディスクの内容はアレンジ歌、ムービー、デスクトップアクセサリ。歌はもういいよと思わざるを得ません。ヒマなのか?ムービーも無料で公開しろよ。カッコいいけどさ。

 さて、問題の設定資料集ですが、これは非常に面白かった。ちょっとネタバレしすぎじゃねえのかと思うところもありましたが。アーミット周りの設定とかな。(僕が行き損ねた某イベントに言った人の話によると、これでも全然出し惜しみしてるとかなんとか。そうだろうな。)
 全体はキャラ紹介、アーミット紹介、スタッフインタビューに分かれ、合間に世界観設定やサンプルCG、ラフ画が挿入されています。面白いなーと思うのは、登場人物の存在感というか、「生活感」ですね。これが「変身ヒーローモノ(へのオマージュ)」であることは言うまでもないですが、ヒーローってのは普段の生活が分からないもんですよね。ていうか、ぶっちゃけ収入源が分からないじゃない。そこで非合法的な方向にあっさり流れちゃってるのは世界観のせいもあるとはいえ少々不満ではあるけれども、(あと桃子さんがあまりに秋子さんなのも。)設定段階から生活臭を感じるのはポイント高し。藍さんが納豆をかき混ぜてびろーんしているCGも、そういう意味では非常に好きです。
 で、そういうアンチ「理想の代弁者」な主人公君ですが、個人的にはキャラの薄さが気がかりでした。なんせ見た目に特徴がないし、アーミットも一番地味だし。どうなるものかと思っていたんですが、なんと保険医さんと肉体関係アリとか。それ、面白ええええええ!このへん突っ込むと話が広がりすぎるので後日に回しますが、これは将路というキャラクターを語る上で非常に重要なポイントだと思います。個人的にはこの設定資料集で一番ピキーン!ときた瞬間でした。

 想像以上の世界観の広がりに、ちょっと情熱復活。あと二ヶ月足らず、この火を無理矢理煽っていく所存であります。

9/7(Tue):ロストチャイルドと仮面ライダー

 前回も触れた某イベントで、プロデューサー雲岳氏が「『仮面ライダーBLACK』見て、自分もヒーローモノが作りたくなって」と明言したそうな。やっぱな。

 さてここで、「仮面ライダー」ってのはどういうヒーローか、ということを考えてみよう。

 初代仮面ライダーは、悪の秘密結社ショッカーにその能力を見込まれて改造され、脳改造を前にからくも助け出された男でした。そう、彼は元々怪人なんです。
 悪より授けられし力を以って悪を討つ。元より純正のヒーローではないんですね。石ノ森原作版のライダー二号なんか復讐鬼入ってますよ、微妙に。彼らもまた人生を奪われた被害者であり、人外の化物なんです。仮面ライダーには常にダークヒーロー、アンチヒーローの印象が付いて回ります。(だからTV特番なんかでしたり顔で「正統派ヒーローの代名詞」とか言ってんの聞くと僕は思わず抗議電話を(やめなさい))
 ゆえに仮面ライダーの本質は「悲哀」にこそあると僕は思います。それこそが他のヒーローと一線を画する要素だからです。家族と恋人と別れ、望まぬ戦いの日々に身を置き、愛されず、救われず、己が血の上に成立する平和を横目にバイクで走り去るのが仮面ライダーです。

 ところが、初代ライダー以降、自ら改造を受けたV3を契機にTVライダーシリーズは「正統派ヒーロー」らしく変貌を遂げていきます。陽性のヒーローへと。現在連載中の『仮面ライダーSpirits』は多分にこのTVライダーの影響を受けています。当たり前だけどな。
 ここに一石を投じたのが、仮面ライダーBLACKです。この作品のストーリーの要諦は、ひとえに主人公の親友が敵ライダーとして登場することでした。主人公南光太郎はかなりアクティブに悪と戦うヒーロー気質なんですが、そこに親友が絡んでくることで葛藤が生まれます。「戦うことの悲哀」から「親友と戦うことの悲哀」へ。TVに裏打ちされた文化と時代の流れに合わせて再浮上したライダーの悲哀のカタチがこれでした。またある意味では、この作品はTVライダーの「栄光の歴史」に覆い隠された正義の欺瞞、仮面ライダーの本質を暴いた作品ともいえるでしょう。親友を目の前にして、お前は相手を殺せるか?大事なものを背に負って、目の前のものを捨て切れるか?お前は、なぜ、戦う。なぜ、殺す。その爆発の向こう側で人が一人死んでるんだぜ?それでもお前、戦いたいのか?

 結局ライダーBLACKは、愛機バトルホッパーの命と引き換えにシャドームーンを殺します。そして、倒れ伏したシャドームーンの台詞がこれ。
「ブラックサン、俺は死ぬ。だが、勝ったなどと思うな。お前は一生苦しむことになるんだ。親友の、この信彦を殺したんだからな。一生後悔して生きていくんだ。アッハハハハハ、俺こそ次期創世王だ!」
 その通り。最期まで親友は元に戻らず、ライダーは親友を二重の意味で救えなかった罪の意識を一生背負うことになるのです。(続編のRXで色々と台無しになるらしいですが、よほどイヤだったのかサッパリ覚えてません。なんか生き返ったりするらしいです。)

 さて、そこで。
 「ただ、生きろと言われた」というキャッチコピー。
 僕がどれほど衝撃を受けたか、お分かりでしょうか。

 親友信彦に自ら引導を渡した光太郎が終ぞ答えを得られなかった問い、「なぜ戦う、なぜ殺す。」
 正義のため?では親友を殺すのは悪ではないのか?それに俺は死にたくない。正義の奇跡なんか期待したくない。これらのライダーたちは、程度の差はあれ「死んだ」者たちでした。幸せを捨てた者たちでした。簡単な話、みんな恋人がいないでしょう?一号なんか酷いモンです、恋人に誤解されて恨まれて。でも俺は違う。俺は死にたくない。俺はちゃんと生きたい。
 なぜ、戦う?なぜ、殺す?

 「ただ、生きろと言われた」。なんて強い言葉でしょうか。これこそが、「仮面ライダーたち」の待ち望んでいた一言なんじゃあないでしょうか。生きろ。そうだ俺は彼女と一緒に生きたいんだ。ロストチャイルドのヒロインがレイリアという、限りなくパートナーと一心同体の設定を与えられていることにはちゃんと意味があります。一緒に。強い、この上なく強い、戦うためのコトバです。一緒に!一緒に!一緒に生きよう!そのためならなんだって耐えられる。立ち向かえる。確信を持って。そして、……きっと殺せる。

 戦う力は与えられても、戦う理由を与えられなかった「ライダーたち」にとって、ロストチャイルドは救いになりえます。そうだ。その期待と希望は忘れていないぞ。

9/8(Wed)

 ロスチャ設定資料集を読んでムラムラする日々。

 僕のオピニオンリーダー虚淵玄氏はこう言ってます。「直球に、エンターテインメント作品として作って、なおかつキャラクターの心情とか葛藤とか、そういった部分を生々しく描写すれば、ただそれだけでエロチックになりますし、いわゆる濡れ場の描写も引き立つ。」そうなんだよね。それができればエンタメ系シナリオゲーとしては理想なんだ。例えば『ファントム』のドライルートなんかそういう意味では優れていると思います。エロシーン自体は薄いわ短いわでてんでダメなんですけどね。

 んで、そんな目でロスチャ設定資料集を眺めてみると、なんかこう、ムラムラ。(他に言いようはねえのか)
 これはひとえにキャラクター配置の巧さゆえだと思います。例えば将路と由良のエッチシーンなんか、ただそれだけでエロい切ない状況が目に浮かんで色んな意味でハァハァするわけですよ。将路と藍のキスシーンもそうだよなー。レイリアとかその辺の設定考えると。「契約」って、好きなんです。僕。
 まあ単純に長浜めぐみさんの絵がエロいってのも多分にあるわけですがね。

■あ、なんか閃いた。

 保険医さんがなんで気になるのかわかったっぽい。

 ロストチャイルドが基本的に仮面ライダーの文脈上に作られてる(と考えると面白い)というのは一昨日書いた通りなんですが、仮面ライダーって安息の場所がないですよね。
 いや、平和な日常のシーンがない仮面ライダーなんてのはないんですが、そこもライダーにとっては「守らなきゃいけない場所」なんですよね。「守る者」「守られる者」という絶望的な断絶がそこにはある。だからそこは最後の最後に支えにならないんです。重荷なんです。「あの場所」「あの人」を守るために戦うライダーなんていませんよね?滝とかその辺の人に至っては「戦友」であって、闘争の日常と直結してしまっているわけで。キツいよなあ、これは。彼らには逃げる場所がない。

 保険医さんは将路の逃げ場なんだろうなあ。殊更に享楽的なキャラクターに設定されているのはそのためで。この場合、二人に恋愛感情がないのが逆にいい。将路には当然マトモな友人関係も家庭もあるわけだけれども、これは化け物と化した将路にとっては重荷でしかない。彼は常に後ろめたさを背負っているはずです。支えとなるべき女子その一由良は色々事情が複雑だし、その二藍を心の支えにして生きていくにはそのために戦い続ける覚悟が必要になる。そういう一切のしがらみを持たず、目上の立場から将路を許容してくれる人物こそが玉置陽子なわけだ。
 考えてみたら、日々を戦いの中に過ごすヒーローに抱くための女が必要ないわけないわな。(ちょっとネタバレだったので伏せ。)そういう観点からキャラ紹介眺めてみると色々と想像できて面白い。

 やはりロストチャイルドは「ヒーロー」というものをかなり真摯に考えているように思われるなあ。より深いヒーロー像の構築という観点から見て、本家の仮面ライダーより一歩も二歩も進んでいるかもしれない。デモンベインといい、エロゲーにはなかなかに可能性があるのかもしれません。

9/10(Fri):まだロストチャイルドについて 「レイリア」の存在意義

 書き始めるまで時間がかかり、書き出すと今度は止め処がなくなり、しかも発売前の作品についてのテキストの方が筆が乗る三大悪癖を存分に発揮ング。

 で、「レイリア」について。
 とある普通の少年がフシギな力を持った少女との出会いをきっかけに大きな争いに巻き込まれうんぬんかんぬんというのは、もう昔っからさんざんやりつくされてきた黄金パターンなわけですが、これを変身ヒーローモノに導入するとはどういうことなんでしょうか。

 変身ヒーローの鉄則に「ヒーローは正体を明かしてはならない」というのがありますね。(私見ですが、これは正体不明なほうがいつでもどこにでも助けに来てくれそうな気がするからだと思います。セーラームーンのタキシード仮面とまもちゃんの差を考えてみると分かりやすいかと。人は謎の存在に限界を仮定しません。秘密であることが、変身することの意味であるとも言えます。そもそもこの視点自体「子供」という絶対的弱者の存在を前提し(危なっかしいので以下略))それゆえに変身ヒーローは基本的に孤独です。
 これが巨大ヒーローであれば、その戦闘の規模から必然的にその存在は世間に知らしめられます。ほっとくわけにもいかないので科特隊も出てきます。彼らは少なくとも戦っている間は常に仲間がいますし、注目されています。(この原則を破った作品が『グリッドマン』です。アレは色々と興味深い。)対して仮面ライダーの戦いは基本的に闇から闇です。光の当たらない戦いなわけですね。なんせ相手が秘密結社とかそんなんばっかですし。その点では戦隊ヒーローも同様ですが、彼らの多くには組織のバックアップがありますし、なにより「自分と同格の戦友」という大きな優位を持っています。(というか、そもそも変身を解けば普通の人間である戦隊ヒーローと人外さんのライダーを比べちゃいかんのですけど。)
 そして、何度も述べている通り、社会的に死んでたり人外魔境突入しちゃったりしてる変身ヒーローは、最終的に社会に溶け込むことはほぼありません。仮面ライダーがバイクで走り去るように、モロボシ・ダンがアンヌを振り切って飛び去るように、どこへともなく消え去るのが変身ヒーローの宿命であり、美学であるわけです。(そういう意味では帰マン(超略)の恋人が生きてるifは興味深い。)

 で、そのどこへともなく消え去るときにおにゃのこ連れてきたいってのが、ロスチャのコンセプトじゃねーかと、こー僕は思ってるわけですよぶっちゃけ。そのために実に徹底的な仕込みがなされています。命を助けられる出会い。化け物と化す肉体。契約バインド。恐らくは守らなければならない、逃亡を余儀なくされるであろう少女の秘密。なんかもう、「駆け落ち駆け落ち駆け落ち駆け落ち駆け落ち」とゆー囁きが聞こえてくるようです。その上、わざわざ身軽な身の上(秋子さんばりに了承しそうな母上だものなあ)にした上で由良というイカリを用意しておくあたりがニクいねえ。狙っているとしか思えません。

 広い世界に、ただふたりきり。ひとりではない、ふたりきり。素晴らしいなあ。ロマンだなあ。そしてこれが、あらゆるヒーローの中でも屈指の孤独度を誇る仮面ライダーの文脈の上で行われるというわけです。ああもう、想像するだによだれがっ。


 当たってたらネタバレになってしまう予想。
 どう考えてもアーミットって人工マガツカミだよなあ。外道もて外道を狩るのが仮面ライダーですからね。これでケルベルスがマガツカミ喰ったりしたら爆笑モンだなあ。

2004/9/16
ロストチャイルドと仮面ライダー(4)くらい

そして僕は強くなる
悲しみに負けぬよう
憎しみに負けぬよう

 ロストチャイルドテーマソング、「魂の慟哭」の一節です。

 今の今までそーゆー方向に考えが向かなかったのが恥ずかしいんですが、これって聞きようによってはヒロイズムの真っ向否定ですよね。
 うん。前後の歌詞を吟味すると、精神論とか博愛主義っぽく解釈するよりそっちのが自然そうだ。

その意味を問いかける
 悲しみでなく、憎しみでなく、借り物の感情や感傷でなく、

ただ二人が側にいられるのなら

魂の慟哭響かせて

 言うものだねェ。こりゃ、僕には「正統派ヒーロー」とやらの完全否定に見えるぞ。「お前らは、弱い」ときたもんだ。「負け」ているんだと。
 考えすぎかな?でも、そう考えるとけっこう歌詞に意味が通ってしまうんだ。
 正義を謳うヒーローが、その正義によって本当にそこまで強く在れるものなのか、疑問だった者としてはそう考えてしまうね。一般的に言ってオトコノコというのは、正義よりも強さに興味があるものだし。

 しかし、最近妙にポエミィなのは、なぜに。
 そういう気分なんだろーか。

レイリアの話の続き

 レイリアの話。というか、このへんは多分全部リンクしてると思うんだけど。

 バインドした時点で破滅の運命を背負う契約者が救われるためには、恐らくレイリアとの強いつながりが必要とされるだろう。
 これは、純粋に戦闘能力のことでもあるし、
 また、戦いに向かう理由のことでもあるし、
 また、その中で「悲しみに」「憎しみに」負けるか否かということでもあるだろう。

 「魂の慟哭」を上げ続けられるか、ということになるのかもしれない。
 ていうか、「魂の慟哭」がレイリアにつながってないヤツ、例えば恐らく颱斗とかは、多分死んじゃうんじゃないかねえ。

 こうしてみるとFateを思い出す。あれも結局、「正義」とかいうものを片端から叩き切りまくった作品であると言ってもいいかもしれない。
 まあ、士郎はわりとキチガイだからそれこそ死なないと直らないわけですが(笑)、まああれはあれで歪んだなりに真っ直ぐなというか、素直な喧嘩の仕方ではあったわけで、また(セイバーEDが)ああいう結末を迎えたことも、非常に納得できるわけですよ。
 また一方で、それがあの狂人の人生の限界であろうということも、思うわけで。表層的に狂っているだけで行動原理は比較的マトモな志貴との違いは、すなわちアルクェイドトゥルーEDとセイバーEDの違いってのはそこなんだろうなあ。

 だから多分、根っこのところでレイリアに志向できない契約者は、戦闘で、あるいは戦う理由を見つけられず、あるいは悲しみに憎しみに負けて、死ぬんでしょう。

 早く10月29日が来てくれないと果てしなく電波が強まっていきそうです。助けてママン!

■追記

02:52 (Moriyan) いや、ちゃんと書こうと思えば書けると思うけど
02:52 (kei__) 今日のレイリアのところがよくわからん(ノ∀`)
02:53 (Moriyan) ものっそい長文になるから
02:53 (Moriyan) よーするに、レイリアとの愛を生きる目的にできるか、
02:54 (Moriyan) そこが各コンビの行き着く先を分けるだろうという話で
02:54 (Moriyan) そこにFateを重ねてみたんですが。
02:54 (kei__) わかりやすいじゃねえか( ´∀`)σ)Д`)
02:54 (Moriyan) こう書けばよかったのか(ノ∀`)
 こう書くのがちょっと恥ずかしかったんだいヽ(`Д´)ノ