What is
『Sugar+Spice!』
of made ?

勝山ペケ

本文

「シュガスパって何で出来てる?」という野暮な言い換えから文章を始めるとするなら、この作品の根本を支えるのは主人公の思い出の欠落であると言っていいだろう。もちろん主人公である和真の記憶喪失と、作品世界に初めて参入するプレイヤーとのリンクを指摘するのは容易い。だがここで主張したいのは、そういう設定のことではなく、ゲームシステムによって主張される欠落である。

オトメカイセキが象徴するように、このゲームには空白を埋めるというモチーフが多重に存在する。ゲームMAPに表示されるシンボルの影も、シナリオ説明画面に表示されるポラロイド写真のフレームも、既に存在している出来事をなぞっていく印象をこちらに与えてくる。もちろん、この欠落をプレイヤーの攻略欲求を奮起させるためのギミックであると考えることは可能だ。しかし、それだけでは十分でないとボクは思う。

例えば、「シュガスパはループゲーだ。」というジョークがある。確かに、和真は一年間というループに捕らわれているのだ。という主張も出来なくはないだろう。一種の遊びとして、製作者たちはゲームの難易度を調整するための好感度持越しシステムが、プレイヤー側に駆動するであろうループに対する想像力を、BADENDの思わせぶりな描写によってシナリオ内部に組み込んでしまっている。このような戯れをする人々が、好感度の持ち越しより重要なゲームパートの演出において、プレイヤーの欲望喚起の他にも何らかの意図を込めていると考えるのは、そこまで的外れなことではないだろう。

別の方面からも例示を試みてみよう。このゲームの全てのシーンを見るのは中々に手間がかかる作業である。時間に追われたボクは、恥ずかしげもなく「愚者の館」に頼った。すると面白いことに、ハモとの一回目のHシーンを見ることなく二回目のHシーンを見ることになった。これは攻略に偏ったプレイ方法をしたが故の出来事であって、普通に攻略を進めていれば起こりえないことなのだが、システム上は許容された現象なのだ。フラグ解析を見れば明らかなのだが、このゲームには特定のイベントを踏むことによってフラグが立つイベントがいくつも存在する。つまり、その気になればHシーンの順番を固定することは可能なのだ。それにも関わらず、製作者側はそのフラグを付けていないわけで、これは中々に示唆的であると思う。

実のところ、このような現象はこのゲームにおいて普通に存在する。並列的に存在するイベントの全てをプレイヤーは一回のプレイで見れるわけではないのだが、和真の方はその全てを体験しているらしいことを匂わせる描写が作中には複数ある。これを最も象徴的に表したのがグランドエンドである「EVERYTHING NICE」だ。このEDの条件は全ヒロインとのEDであって、全ての思い出を見ることではない。

これが示しているのは、端的にはプレイヤーと和真の分離である。全ての思い出を埋めることなしに、記憶喪失の全快を告げられる和真は、全ての思い出を埋めたいと欲するプレイヤーとは異質の存在になる。このとき、和真にとってシステムによって強調された欠落の意味が明らかにされる。作中の言葉をなぞるなら

高島先生「この一年で君は、いったん破損したパーソナルを再構築するのに充分*1な経験を得た。過去の君がどんな人間であったとしても、失われた記憶が戻ろうと戻るまいと、それらに君の人格が揺るがされることは、もはやないだろう。」

(EVERYTHING NICE)

である。つまり、和真にとって未来の経験が欠落ともに表象されるのは、それが彼の過去の記憶と等価に結ばれているからなのだ。アイコンの欠落が指し示すのは、そこにある未来の出来事が、今は失われているものの代価物だということである。和真は一年という期間を通して、失われた過去を未来の思い出に置き換えていくだろう。*2その結果として起こるのは、何らかの形での破局の再生だ。

シュガスパの弱点として個別ルートの展開が終わらせる為だけにあるように見えることが指摘されているが、これが示しているのは、ゲーム内の一年間という「日常」の奇跡性であるようにボクには思える。彼らの「日常」は、本来であれば一年前の時点で何らかの破局を被っていたはずのものだ。その変質を差し止めているのは、和真の記憶喪失という事件である。このアクシデントの上に成立する「日常」は、裏に破局の影を潜ませているのではないだろうか。

個別ルートを見れば分かるように、ハモ、ジジ、ミャンマーのシナリオは、和真が忘れた過去の出来事を巡って展開されていく。またオトメはかつての破局と全く無縁であるが故に、全シナリオで一つだけ和真が記憶を思い出して自分の過去と向き合うことになる。ピョンのシナリオは、この説明で補いきれないところがあるが、記憶喪失の時点で彼らの関係に破局は存在しないが確実に起こっただろうから、作中において絶対に引越しが行なわれるのだ。と言うことも出来るだろう。*3

だからこそ、個別シナリオにおける「日常」の終焉は印象的な事件ではありえないはずだ。和真は過去の思い出の代価物として未来の思い出を埋め、留保されていた破局を呼び起こしていくが、オトメ以外のヒロインにとって、そこで遭遇する出来事は前もって予期されたものだ。それは、かつて起こったかもしれない*4破局の再現に過ぎない。彼女たちにとって、破局は当然の出来事だ。彼女たちはオトメも含め、自分の意思で選択を下してく。そこに運命の悪戯に翻弄され、立ちすくむ悲劇の少女が存在する余地はない。

たぶん、ヒロインたちは知っているのだ。甘く楽しい「日常」が存在するためには、辛く苦しい「破局」がどこかで求められることを。シュガー&スパイスとはよく言ったものではないか。と上手いことを言って、この文を閉じたい。*5

脚注

*1 揚げ足かもしれないが、「十分」ではない。
*2 ピョンの旅立ちのシーンにおいて、和真がかつての思い出を取り戻したが故に、現実の思い出の場に間に合わなかったことを指摘しておいても良いだろう。
*3 記憶喪失前に面識の無いオトメと違い。ジジの告白の結果として、和真とピョンの関係にも何らかの変化は必ず生じたはず。無理筋ですね。
*4 あるいは起こった。
*5 強いて加えるなら「EVERYTHING NICE」は、主人公が全ての破局を解決したが故の甘い甘い世界なのかもしれませんね。