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恋愛への可能性、異性への理解の困難さ

 シュガスパにおける印象的なシステムの一つに、オトメカイセキがある。イベントを重ねていく中でヒロインたちのことを知っていく、というシステムなのだが、その"ヒロインたちのことを知る"内容がある意味酷い。例えば、これは全ルートクリア後の話だが、歌ちゃんの円グラフの三分の一が「ロリポップ」「ハーブ」で占められており、「目指せコックさん!」とか「幼い日の約束」とか、シナリオ的に重要っぽい要素は端っこにちょこっとあるだけである。そもそも彼女がロリポップくわえてるシーンなんてほとんど無いのに。夢路ちゃんにしても何故か「長女」が四分の一だったりする。
 そもそもOHPにあるオトメカイセキに関するコメントは、"乙女心をちゃんと理解することが、恋愛成就のヒケツです☆"である。これを読むとわかるのだが、オトメカイセキはそもそも、「女の子を理解するためのもの」ではない。「恋愛成就のためのもの」…というと語弊があるだろうが、そういったものである。
 どういうことか。一般に、相手を恋愛対象と見なすことと、相手を友人と見なすことは、並立しにくいことと考えられている。そのことには、例えば恋愛「対象」が相手を対象としてみる態度であり、相手に対して共感・共有を行う相手と見なさない態度であるから、という説明をすることができるだろう。
 この場合の"恋愛対象"とは、エロゲー的恋愛における恋愛対象のことではない。エロゲーにおける恋愛はしばしば、友人関係>相手への深い理解>恋愛、というテンプレートに沿って進行するが、シュガスパは別にそのような進行の仕方をしない。例えばそうしたテンプレートは、ヒロインとの深い相互理解をする前の段階で恋愛関係に陥ってしまうことを防ぐため、しばしば主人公が朴念仁/鈍感であることが必要とするのだが、シュガスパではそういった事態にはなっていない。
 なぜなら、シュガスパのもう一つの特徴的なシステム、告白システムがあるからである。いつでも告白ができるということは、つまりいつも彼ら彼女らの関係に恋愛へと至る可能性が潜んでいる、ということだ。
 プレイすれば当然わかることだが、和真くんは女の子たちを、友人として見ると同時に、性的な対象としても眺めている。だからこそオトメカイセキでは、「ロリポップ」だの「美脚」だのといった、ある種の萌え要素的なものが押し出されるのだろう。
そもそも、和真くんが記憶喪失をしたせいもあって「女の子が理解できな」くなったからこそ、オトメカイセキのようなシステムが出てきた、ということもある。女の子への理解の困難性とオトメカイセキは、最初から繋がっているのだ。

 ちなみに、和真くんとの距離が近すぎて性的目線の対象となりづらい藍衣ちゃん辺りに関しては、オトメカイセキにおいても割と正確な理解をされてるように見えるのも面白いところではある。ただ、それでも和真くんにとって藍衣ちゃんはただの友人にはなりきれない/理解できない/性欲の対象になり得てしまうような「女の子」であることはやっぱり疑いようがないわけで。そうした「友人」としての藍衣ちゃんと「女の子」としての藍衣ちゃんが分裂してしまうようなディレンマが心を打つイベントとして、三月末の、お風呂場で深山家を出て行くの出て行かないの、という話をする事件があったりもする。

"藍衣に浮かんだ表情は何だっただろうか。
驚きだろうか、悔しさだろうか。怒りだったかも知れないし、喜びだったかも知れない。
俺は、その表情をなんていうのか、わからない。"
"藍衣「清々とか、そんな訳があるか!」
真面目な顔をする藍衣。こんな真剣な表情は、今まで見たことが、ない。"
(三月、"藍衣と二人、銭湯で"より)

何を考えているのか和真くんに対して見せない藍衣ちゃんだけれど、けれど何らかの形で彼女が今の和真くんと一緒にいたいと思っていることは、どうしたって伝わってくる。和真くんとてもそれに気づいてはいるのだけれど、でも二人は男と女で、一緒に暮らすということの意味を考えれば、藍衣ちゃんがそう言う風に振舞う理由がよく分からない。それは、記憶がなければ、容易に踏み込めない部分だ。もちろん男である女であるということに必ずしも縛られなくちゃならないわけではないし、二人とも賢くて、そういうのに容易に縛られるような人ではないにしても。それでも、性別の差は、どうしても二人の間に距離を作ってしまうのだ。結局上手い解決とか話の落としどころとかが見つかるわけでもなくて、複雑な思いが解されたりするわけでもないんだけど、でもまあやっぱり、二人が仲が良い、というのもやっぱり事実ではあるのだよね。それは和真くんの人徳のおかげでもあるし、卑怯さのおかげでもあるといえるんじゃないか。

 もちろん、和真くんが女の子たちを友人として見ていない、理解していない、ということでは決してない。が、しかし、和真くんと彼女らの(告白成立以前の)関係が、必ずしも深い相互理解を重視したものではないということは確かだろう。

 折角なので、こんな例も挙げておきたい。

"和真「というか、まあ。最近の歌は、もう少し食った方がいいかもと思うけど」
退院してから、どうも食が細くなったような気がする。
歌「食べてるよ?ダイエットとかしてないし」
和真「……無理に気を遣ってないよな?」
歌「え、うん。だって、その。ちょっとくらい、なっても……カズくん、『かわいい』って言ってくれるし……」
もごもご、と口ごもる。
事実、歌は気にしすぎだと思うくらいだったと思う。
ウエストが1センチくらい変わろうが体重が1キロくらい増えようがそんなものはよほどの時でない限りわずかな誤差でしかないと思う。
というのが最近やっと伝わったらしい。"
(FD、歌ちゃんルートより)

 "やっと最近伝わった"というのは多分間違っていて、歌ちゃんが和真くんの言にどうして耳を傾けはじめたかといえば、恋人同士になって、"和真くんの好きな自分でいられれば何だって構わないと思えちゃうし、実際和真くんの好きな自分でいられてる自信がそれなりにある"というバカップル的状態になることができたからだろう。付き合い出す前の歌ちゃんは、当然そのどちらの状態でもない。告白前は、そもそも歌ちゃんは和真くんだけを一心に見てたわけではない。歌ちゃんがダイエットをする理由は色々あって、自分のために可愛くありたいとか、他の子と張り合ったりとか、男の子(≒和真くん)に好かれるため*1、だったりする。その時和真くんと歌ちゃんの間には、性別に関する立場の違いによる溝みたいなものが存在している、と言うことができると思う。


彼らの結びつきのカタチ

 彼らは、"とらハ"のように深い相互理解で結びついているわけではない。といって、ラジオでも言われたように、例えば"るい智"のように特定の場所や目的に基づいて繋がっているわけでもない。では、彼らはどのような仕組みによって結びついているのだろうか、という疑問が当然出てくるだろう。
けれど、この答えはごく簡単だと思う。彼らは、お互いが好きだから、一緒にいるとお互いにとって楽しい時間、良い時間を過ごせるから一緒にいるんだろう。この"好き"ってのは、別に恋愛的なそれとは限らない。友人としての"好き"でもいい。何でもいい。
というより、"好き"という言葉に囚われる必要すらないんだと思う。"一緒にいたいからいる"ということだと思うのだ。これは循環論法で、何も言っていないに等しい……つまるところ、一緒にいたいと思うことになにもトクベツな理由なんか要らない、ということだ。
 そして、離れたって一緒の時を過ごしてなくたって、お互いの繋がり方が変わったって、お互いを好きであること、友達同士であることに変わりはない。

"和真「んーと、まず。おまえ、今のトコでうまくやってんだよな?」
はねる「え、う、うん。一応、やれてると思う、けど」
和真「うん、ならさ。今のおまえの居場所ってそこだろ?ここじゃなくて」
あ、いかん。はねるが変な顔してる。
「ああ、何もおまえをここから追い出したいとかそういうのじゃなくてさ、えーっと戦場の違い?」"
"和真「戦う場所、人生を。んー、俺たちの言い方で言うと『リングの上』とか『競技場』とか。なんでもいいんだけどさ」"
"和真「おまえにとって、ここはそういう人生かける場所じゃなくて、えっと……なんつーのかなー、遊び場?」
はねる「え、けど……なんか違わない?」
和真「違うのは俺もわかってるけど言葉が浮かばないんだよ」
なんだろう。子供を育て終わったお婆ちゃんが孫をかわいがるだけかわいがればいいとかそんな感じのこと。"
"和真「別にいいんじゃないのかって。手伝えないからって歌たちが友達じゃなくなるわけじゃねえし」
はねる「その辺は、分かってるつもりなんだけど、なんて言ったらいいのかなー、えーっと、わっかんないかなー」
「アタシの感じてるこの、のすたるじーみたいなものがさー」"
"和真「あ、いや、間違ってるだろ。今おまえが感じてるのはノスタルジーじゃなくて、疎外感だ!」"
"和真「ま、受け入れろ。状況なんて変わるもんだろ」"
(FD通常イベント、転校した身で文化祭に来て疎外感を感じるはねるちゃんに対して)

 ただ、じゃあ好きな相手とわいわいやってればそれで万事オッケー万事幸せかって言ったら、そうじゃない。彼らの間にはすれ違いだって恋の鞘当てだってあるし、そもそも彼らの関係は変化していくものだからだ。
 シュガスパにおける人間関係の一大変事といえば、当然、和真くんと誰かのカップル成立という事態が挙げられるだろう。和真くんと歌ちゃんや夢路ちゃん、あるいは藍衣ちゃんが恋愛絡みで何らかの因縁を持っているということは、それぞれがどこまで知っているかということが明確に語られるわけではないにしても、司ちゃんを除いてお互いにそれなりに感づいてはいるはずだ。だから和真くんが誰かとくっつくということは一つの事件で、単純に割り切れることではないはずなのだ。
そのとき、他の女の子達は、カップル成立という事実とどういう距離感で付き合おうとするかというと。例えば、歌ちゃんへの告白後、夢路ちゃんと歌ちゃんとが二人でやり取りをする場面があり、色々と面白いやり取りがある。

"歌「……ま、そうだよねー。それにミャンマーはカズくんのことになると色々見てるもんなー」"
"歌「やっぱり、あの二人にも色々あるのかなあ」
夢路「そりゃあるでしょ。一緒にいる時間だったら、わたしとハモよりも長いんだし、その間にもいろいろあったんでしょうし」
そうだよねー、とお茶をすする音だけが響く。"

"歌「それにさ。ジジだってカズくんの事――」
夢路「それは関係ないでしょ」"
"「いい、ハモ。色々事情はあるだろうし、わたしにも話してないことはあるみたいだけど……」
「その言い訳にわたしを使わないで」"

"歌「うん、でも……あたしは――」
夢路「あたしは、何?」
歌「……もしかしたら、この隠してることを全部話したら、カズくんに嫌われちゃうかも知れない」
その歌の悩みを肩代わりはできない。
だから、だけれど。夢路は黙ってそれを聞く。
「だから……だったら。あたしは、カズくんも好きだけど、ジジも大事だから。すごく大事な友達だと思ってるから」
「ジジが、笑ってくれたらいいなって思って」"
"夢路「あのね、歌。何度も言わせないで、彼は、あなたのことが好きなの。これ以上言わせたら怒るわよ」
歌「……でも、あたし」
夢路「歌。さっき、わたしの事をすごく大事な友達って言ってくれたわよね」
うん、と小さく歌はうなずく。
「わたしもよ、歌。すごく大事な友達だと思ってる」
「だから……本当に歌がそう思ってるなら、素直に話して欲しいの」
それで、少しでもこの友人が溜めこんだものが表に出るのなら。
たとえ自分の想いがかなわなくなる決定的な言葉であっても、構わないと思っていた。"
(歌ちゃんの告白後イベントより)

夢路ちゃんは、藍衣ちゃんと和真くんの事情にしても、歌ちゃんと和真くんの事情にしても、それは当人同士の事情であって、それはやっぱりまず当人同士が正面から向き合わなければならないことだ、と思っているように見える。そして、何故そう考えるかといえば、それは和真くんも藍衣ちゃんも歌ちゃんも大事な人だからだ。それは先ほどの"好きだから"という部分ともある意味リンクしている。

 あるいは、歌ちゃんへの告白成立後の"まだしてないのっ!?"というイベントを挙げてもいいと思う。秋波を出しまくる二人が、なぜか未だにエッチをしてないことに四人が驚いて、

"なぜか司を交えて四人で始まるひそひそ話。その内容が少しずつこっちに漏れ聞こえてくる。
はねる「え、勃たないって、まさか―」
藍衣「いや、これがありえない話じゃなくてだね」"*2

こんな感じで和真くん・歌ちゃんをいじると、実はそのことを和真くんも歌ちゃんもすごく気にしてたものだから、和真くんがヤケクソになって叫んでしまって気まずくなって終わる、というイベント。この時に微妙なのは、六人で誰かをいじったり何だりして楽しく過ごす時間と、恋人同士である二人の間のプライベートで微妙な事情とが、交差している点だ。そして、どこが踏み込んではいけない部分でどこがそうではないかをちょっと間違えてしまったために、微妙な空気が作り出されてしまった、と言うことができる。
 例えば学園祭準備で歌ちゃんを無理やりお化け屋敷に押し込むシーンでは、和真くん含めみんな、歌ちゃんが本気でお化け屋敷を苦手なのを知っててそういうことをしている。そのせいで歌ちゃんが気絶してしまったりしても、それで気まずくなったりはしない。実際、歌ちゃん自身も空気を読んで、半分くらいは自分の意志でお化け屋敷に入ったのだ。

"さすがに、ここまで期待されて断れないと思ったのか。
歌は、しぶしぶといった様子で。
歌「……分かった。じゃあ……いってくる、ね?」"
(学園祭準備イベント"オバケ屋敷完成!"より)

 だけど、恋人同士とかセックスとかそういう話題では、そういう風にはいかない。六人でわいわいやっている時の場と恋人同士のプライベートはやはり違うもので、そして不用意に踏み込むべきではない部分というものがあるのだ。
しかし、これは別に冷淡ということではないだろう。むしろ、お互いがお互いのことを大好きだからこそそうしているのだ。
 なぜなら。そもそも先ほど述べたように、彼ら六人の人間関係はいささか複雑だ。しかもシュガスパでは、ゲーム中のある期間においてお互いがお互いをどのくらい恋愛という意味において好きであるかがわからない仕様になっている。ちょっとした行動や反応から告白可能性をそれとなく確かめる、といったことはできないのだ。
実際のところ、シュガスパの六人の人間関係において、典型的ラブコメみたいな感じで歌ちゃんが和真くんにアピールしたり藍衣ちゃんがツンデレしたり司ちゃんが和真くんにラブラブ懐いてきたりしたら、どう考えても人間関係が混乱するというか、少なくとも平和な日常は送れないに決まっている。その程度には和真くんを巡る恋愛模様は複雑なのだ。こういう言い方は良くないのだが、典型的なラブコメにおける人間関係が破綻しないのは、ラブコメの登場人物がアホだったり倫理観がぶっ飛んでたりするからだ*3。シュガスパの登場人物は誰も彼も無駄に理性的でまともなので、そういうのはできそうにない。だから安全策として、和真くんへの自分の気持ちは極力隠しておく、という対処が必要になる。
 そして、告白という行為もまた、そうした安全策の一つだ。告白という正式な手続きに則って相手に自分の気持ちを伝え、はっきり受け入れるか断るかを決めてもらう。告白が成立しちゃったら、後の女の子は自分の気持ちをなるべく諦める。そういうプロトコルというかルールに従っている限り、人間関係で混乱が起こる危険性は抑えられるのだ。だから、和真くんが浮気をする可能性はとても低い。*4彼は、皆が笑って過ごせるためにルールをきちんと守ろうとする人だからだ。
 夢路ちゃんが、告白の問題は歌ちゃんと和真くんの間だけの問題だ、と言うのも、同じことだ。告白されたんだから、自分の気持ちだけと正面から向き合って、そうやって答えを出すべきだ、それが歌ちゃんにとって、和真くんにとって一番いい事なんだ、夢路ちゃんはそう考えているのだと思うのだ。

 ただもちろん、七月固定イベントの夢路ちゃんとのトラブルでの藍衣ちゃんやはねるちゃんの振る舞いなんかを見れば、彼らがいつでも安全策ばかりとるわけでもないことはわかる。藍衣ちゃん・はねるちゃんが夢路ちゃんの事情を詳しくは知らず、夢路ちゃんと和真くんとの間の問題を、二人の間だけの問題ではなく六人の間の問題だ、と捉えている可能性は無いわけではないのだが、それにしても大胆な解決策だといえるだろう。
 その辺の対処の仕方には実際には個人差もあって、例えばそれは学園祭イベントでの、司ちゃんに対する皆のスタンスを見ればわかりやすい。あのイベントでは司ちゃんを和真くん、バンドメンバー、はねるちゃんの三者が説得する可能性があるのだが、彼らはそれぞれ立場も考え方も全然違う。面白いのは、それでも三者みんなが最終的には司ちゃんの判断をすごく尊重しているということであり、また、にも拘らず司ちゃんは同じような判断を下す、というところだ。
思うに、このことは、彼ら彼女らの人間関係の、ある種の有機性を示している。各人が十人十色の考えを持っていて、また複数のコミュニケーションラインを持っている。それにより混乱した複雑さが現出するのではなくて、むしろ安定性、恒常性が生まれているのだ。恒常性とはこの場合、変わらないということではない。どちらかといえば、たとえ変化しても安定している、とでも言う方が正しい。はねるちゃんが抜けても彼らの関係性は変化はしても崩壊はしないことも、その一例と言える。彼らの関係性は、変化に対して強い。というよりは、変化自体を内に孕んでいると言った方がいいだろうか。

 ちなみに「複数のコミュニケーションライン」と言ったが、具体的には、六人で作れる組み合わせの総数がその数にあたるので、57本ということになる……とまあ、それは冗談としても、先ほど述べたように、彼らの繋がりに核となるものはない。二人の人間の間の相互理解が大事なのではなく、六人でわいわい楽しむ時間だけが大事なわけでもない。そういう二分法ではなくて、二者間関係が尊重されることも、三者間関係が大事だとされることも、六者間関係が重視されることもありうるのだ。こういう風に言ってみれば、当たり前の話でしかないのだけれど。
だから、例えば誰か二人の間でトラブルがあったとき、他の四人が介入すべきかどうかっていうのはケースバイケースだ。ただ、基本的には彼らは当事者の判断を重視する傾向にあるし、あと恋愛ごとに関してはなるべく干渉しないようにしているように見える。それは恋愛が極めてプライベートかつデリケートなものだからだ。シュガスパの中で恋愛がそのようなものとして扱われていることを端的に表しているのが、ラブホテルではないかと思う。ラブホテルは恋人のためだけに存在する空間だからだ。

ケースバイケースと言ったが、それは大原則の存在しない場当たり的な判断だ、ということを意味するわけではない。判断の大原則はある。それは、互いのことが大好きだということ、自分や互いのために一番良いことを模索しよう、という原則だ。これもやっぱり、当たり前のことでしかないんだけどね。しかし、それを意識的に追求しているかそうでないかでは、結構差が出てくるのも事実だ。そして和真くんたちは、意識的に自分を含む皆の笑顔を追及している。そのことを表しているのが、

"毎日明日が楽しみで、けれどその明日が今日になるとまた明日が楽しみで。
そんな日々であろうと、俺は過ごしてきたつもりだった。"
"最初に出会ったみんなは、ずっと一緒ではなかったけれど。
その代わり新しい友人もできたり、一緒ではなくなったからと関係が酷く悪いものになるとも限らない。"
(FD、卒業式イベントより、これまでの学園生活を振り返って)

この独白だと思う。
 そう、彼ら彼女らは、自分や大好きな人たちの日々がいつも楽しく笑って過ごせるものであるように、なすべきだと自分で思ったことを意識的に、しっかり実行している。それは将来に関する意識だってそうだし、今現在のことに関してもそうだ。もちろん、どうにもならないことはいくらでもあるから、自分のできる範囲で、ということだ。
上で引用したはねるちゃんとのやり取りでも、"戦う場所、人生を。んー、俺たちの言い方で言うと『リングの上』とか『競技場』とか。"っていうフレーズがある。もちろん和真くんは「人生とは終わることなき闘いだ!」とか思ってるわけじゃない。そうじゃなくて、和真くんは、和真くんにしてもはねるちゃんにしても頑張って人生生きてる、ってことを言いたいのだ、当然。それが何のためかって言ったら、繰り返すけど、自分と大好きな人たちが、笑って楽しく過ごせるためなのだ。サトくんだって楽しもうって言っている。

"佐藤「なんつーかさ、早乙女さんの家の用事ってよ、誰かが倒れたとか、そういうのと一緒だろ?」
「音楽好きならよ、大事なことは全部やった上でじゃねーと、楽しめなくねえ?ってことよ」
司「……たのし、む?」
歌「音楽って、音を楽しむもの、だよね?悩んだり、辛かったりでやることかな?」
黒越「そういうこと。だから、行ってきなよ。残念ではあるけどね」"
(文化祭イベント、サトくんの唯一の見せ場より)

 ところでやっぱり"頑張る"といえば、学園祭での後夜祭ライブの準備に奔走する和真くんの姿が印象的だろう。ライブのために和真くんは走り回って頑張ったけれど、あの時和真くんの頑張りが成功する保証はなかった。シュガスパの世界は、頑張れば必ずしも成功するっていうほどには優しくない、例えば和真くんのボクシングとか、歌ちゃんルートのラストとかね。*5学園祭のときも周りの人次第、司ちゃん次第な部分は一杯あって、和真くんに出来ることなんてそう多くはない。だけど、それをすべきだと思ったから、和真くんはそれをしたのだ。当たり前のことだけどね、だけど言うほど簡単なことじゃないと思うし、やっぱ和真くんたちすごいなあ、と思う。親兵衛の家族の件なんかも、すごい行動力だって思ったし。

 ちなみに、倫ちゃん先生は作中で「学生の本分は四割が人間関係、三割が勉強、あとは部活」と述べている。実際、学園祭みたいな派手な頑張りどころは目立ちはするけれど、シュガスパという作品がもっとも数多く描いているのはもちろん、彼ら彼女らが人間関係に正面から取り組む姿だ。ラジオでこの作品の魅力はどこかと聞かれて、和真くんたちが、人間関係や諸々のことに向き合って、自分たちみんなが笑って過ごせるように頑張ってるところ、と答えたのは、そういう意味だ。ラストのEverything Nice!がどういう意味でniceなのかと言えば、もちろん和真くんも女の子たちも皆楽しそうだ、という意味においてだ。別にあの状態が彼らの関係の終着点だとか、そういうわけでは全然ないだろう。多分あそこから和真くんと誰かが恋人同士になったりとか、そういうことは普通にありうるはずだ。だけどとにかく、あの時あの瞬間皆が純粋に楽しく笑えていることが、とても大事なことだと思うのだ。なぜなら、その笑顔は、和真くんたちが日々を一生懸命に過ごした結果として勝ちえたもので、あの時彼らは、記憶のこととかを気にすることなく幸せでいるだろうからだ。

 また、私は先ほども挙げた夢路ちゃんの七月における固定イベントのラストがとても好きだ。*6言葉でどれだけ話し合っても、それで夢路ちゃんの感情が納得できるわけじゃない。その程度には事情は複雑で、それは和真くんも周りの皆もわかってるから、だから結果のわからない賭けに出た。

"和真「夢路とは……こんなままじゃ嫌だ。元の、とはいかないかも知れないけど、仲良くしたい」
夢路「……ぇ」
和真「俺にとって、やっぱり夢路は大事な友達だから」
「たとえ、記憶がなくなっても。今の俺にとって、夢路は大事なんだ。だから……」"

"夢路「……ぇ? ま、待って……」
夢路の手が、反射的に俺の胸を押す。だけど、押し返すほどの力は込められていなかった。
「新木……くん?」
和真「ずっと、一緒だったろ。俺にとって夢路は『大事な相手』なんだよ」"
(七月固定イベント"雨降って地固まる"より)

ここでは、『大事な相手』という言葉が、「友人として大事」と「恋愛という意味で大事」という二重の意味を持たされている。それは和真くんのずるさを意味してもいるのだけれど、そもそも彼らの関係が、友情と恋の二つの間を行ったり来たりするような関係だからこそそうなっているのだ、というのも要素として大きいのだ。
和真くんがキスを止めた直後の空気はなんとも微妙な感じだったから、もしあそこで和真くんか夢路ちゃんかのどちらかが告白をしてしまえば、『大事』の意味は、恋愛という意味で大事、の方に固定化された(実際には和真くんが笑い出しちゃったので、告白とかいう空気ではなかったけどね)。けれど実際にはその逆で、音がして歌ちゃんがそこに居ることがバレてしまったから、『大事』の意味は友人として大事、の方に固定化されることになった。まさかそこまで読んだ上で誰かが意図的に音を立てたとか、そんなわけはないだろうけどさ、でも、歌ちゃんたちの存在がバレるということは、和真くんと夢路ちゃんが仲直りするための最後のワンステップだったと思えば、それも感興ぶかい。
恋愛への予感と友達であることが共存してたりとか、友達の手を借りることとか、分かり合えなさとそこからの跳躍とか、和真くんの魅力とずるっこさとか、そして何よりそういう複雑な感情とか全部ひっくるめて最後には和真くんも夢路ちゃんも嬉しそうにしているという事実、そうしたシュガスパの魅力がぎゅっと詰まったワンシーンだと思うのである。

 そもそもの話として、エピソード選択式を採用しているシュガスパの共通ルートは、連続した物語、連続した気持ちの流れを描くことを重視していない。ネガティブにそれを捉えれば「物語が描けないシステムだ」ということになるのだろう。
しかし、ポジティブに捉えれば、それは「物語に囚われないシステムだ」とも言える。シュガスパで描かれているのは内面や人生や意味への洞察ではなくて、何気ない、大した意味があるわけでもない、だけど和真くん、歌ちゃん、夢路ちゃん、はねるちゃん、藍衣ちゃん、司ちゃんたちが、自分たちが笑って暮らせるように精一杯生きてる世界であって。それがとても愛おしく感じられる。彼ら彼女らの生は、当人が生まれてから死ぬまで続く(当たり前だ)。その内のたった一年間+αだけだけど、それを垣間見ることができたこと、ホントにあっという間だったけれど、とてもとても楽しかった。

*1:ちょっと説明しづらいのだが、和真くんに好かれるために、和真くんだけの好みだけを気にするんじゃなくて男の子全般に対するモテを志向してしまう、という感じ。男女を逆にしたケースを考えてみれば男性諸氏にも理解しやすいのではないかと思うが、いかがだろうか。
*2:あのことをネタにしちゃえている辺り、やはり藍衣ちゃんはすごいなあとしか言いようがない。そのうち新しい恋でも……と言っても、藍衣ちゃんだったら別にそんなの見つけなくても大丈夫ですかねえ。
*3:良い意味で、良い意味で!個人的には"セキレイ"とか好きよ!
*4:姉妹丼は浮気ではないので除外
*5:話は逸れるけど、保証のないところででも頑張る、みたいな考え方は、藍衣ちゃんルートにおける"信じる"というキーワードなんかとも関係している。和真くんが藍衣ちゃんのことをずっと大切にしてくれるかどうか、そんなこと神ならぬ身にわかるわけもない。だから、ただ他者を"信じる"ことしかできないのである。やたらと頭の良い藍衣ちゃんにはそういうことが色々と見えてて、だからこそ気苦労も多い。FDの藍衣ちゃんルートの最後のやり取りなんかも、割とそんな感じである。未来に自分たちの関係がどうなってるかわからない、という藍衣ちゃんに対して、和真くんは"「それでも、俺だって『藍衣のことが好きだ』って気持ちは、変わらないし変えたくないよ」"と言う。それに対する藍衣ちゃんの返しが、"「……なら、ソレを信じてあげよう」"。痺れる。
*6:関係ないが、このシーンには夢路ちゃんの賢さや魅力などがよく出ていると思う。最初の方で挙げた、付き合い始めると和真くんのものの見かたに寄り添い始める歌ちゃんなんかと違って、夢路ちゃんは恋人同士になってからも和真くんとあまり同一化したりする感じではない。夢路ちゃんって結構女っぽくて(いわゆる「面倒くさい女」に近いところもあるし)、それで男っぽい和真くんと溶け合わないのかな、と思ったりもする。その辺が彼女の魅力の一つなのかな、と思ってる。