なぜ雪子は
賢久を
突き飛ばさなければ
ならなかったのか

八柾山崎

もちろん、「雪子がそういうキャラだから」と答えることはできます。彼女のトリックスター的な性質はラストイベントでもいかんなく発揮されている、と捉える方が簡単でしょう。あるいは賢久に対する愛情表現の一種であると解釈することも可能です。しかし、作品全体の構造について考えを巡らせたときに、彼女のこの行動は単なるキャラクター性の発露にとどまらず、ストーリー自体のやや特異な指向性、そしてその不徹底がもたらした矛盾に対する処理として、一定の意義をもって浮かび上がります。
どういうことでしょうか。そもそも本作のストーリーは、未来視による可能性の収束を行う「劫の眼」が象徴するように、「拡散=特定のヒロインとの単一的な関係」を志向する一般的なマルチエンディングADVとは反対に、「収束=仲間たちとの共同性の日常」への圧力によって駆動しています。それぞれ別個の並行世界からひとつの世界に集まってきたキャラクターたちが「友と明日のために」というイデオロギーを掲げて結束し、ついには仲間たちと過ごすただひとつの楽しい日常に辿りつく。各エンディングのラストイベントが(基本的に)共通であるのはそのためです。そして、ゆかの構築した幻燈結界の挫折と*1、赤い夜崩壊後の「菊理」シナリオのラストイベントで挿入される一枚絵――中央に立ち菊理にキスされる駆、それに反応する美鈴・ゆか・栞――が示唆するように*2、ここでは恋愛が、セカイ系的な一対一の排他的形式をとるものではなく、友人グループの共同性を前提とすることではじめて承認されるものとされています。
さて、このような収束=共同性への指向性はなぜ要請されたのか、と考えたときに、われわれはそこにいわゆる「Kanon問題」――そもそもこれは擬似問題であるわけですが――に対する解決への意志をみることができます。具体的にはどういうことでしょうか。ストーリーの後半部、10月31日のイベント「草壁操」において駆たちには、「『友と明日のために』敵を倒してしまうと、元通り仲間たちとは並行世界に離ればなれになってしまう」という世界の矛盾が突きつけられます。これは、ヒロイン=ルートを選択するマルチエンディングADVにおける「全ヒロインを同時に救うことができない」というシステム上の問題を、ストーリーのレベルにおける困難――特定のヒロインどころか、仲間全員を失ってしまうような構図――へと移しかえたものとしてとることができるのです。この問題は最終的に、メタキャラクターである菊理が未来の観測を行い、駆の望むような「仲間たちと共に過ごす平和で楽しい日常」の世界に収束させることで一足飛びに解決されます。このまさしくデウス・エクス・マキナ的な処理じたい、なかなかに強引なものですが、それよりもここで注意したいのは、上で述べた「仲間たちとの共同性の日常」なるものが、実態としては「駆を中心とするハーレム的な日常」とほとんど等価で結ぶことができてしまう、ということです。先ほど触れた「菊理」シナリオのCGの構図に象徴的なように、ここでは各ヒロインの想いはいずれも駆に向けられており、彼を重力源とする擬似ハーレム的な関係が成立しています。つまりここでは、「友と明日のために」イデオロギーは実質的には挫折し、代わりに恋慕の情がそれを担保していると言うことができます。
そして、ここで問題となるのが雪子と賢久の存在です。まず、賢久が友人グループの一員となっていることからもわかるように、仲間たちとの日常が駆の擬似ハーレムの様相を呈する必然性は(異性愛のみを容認する立場からいえば)あまり無いといっていいでしょう。ですが、実際には「そう」なってしまっているわけです。そうなるともはや、賢久の存在はグループ内の異物にすらなってしまっていると言うことができます。というのも、がんらい彼と仲のよかった雪子の存在を踏まえたときに、ふたりの関係はハーレムに対する脅威となっているからです。彼女は、賢久とは友達以上恋人未満といっていいくらいには親密な関係であり、しかし主人公(駆)の攻略対象=ヒロインともされている、シナリオの構成上かなり不安定な位置にいるキャラクターです。そして、作品全体を貫く「収束」への指向性を踏まえたときに、このような中途半端なヒロインが登場することには問題があります。その不徹底さがために、今やハーレムの絶対性は揺らいでしまっているからです。
ここで、以上のような疑念と不安を振り払い、ハーレムの地盤を確実なものとするために、雪子は賢久を突き飛ばさなければならなくなったのだとみることができます。といっても実はこれだけでは、彼女の想いは確定されていません。雪子はただニコニコと笑っているだけで、その心の内を窺い知ることはできません。賢久のことを好きなのかもしれませんし、駆のハーレムの輪に加わっているつもりなのかもしれませんし、あるいは何も考えていないのかもしれません。共同性のある程度の安定と引き換えに、「収束」させきることのできない残余として、彼女の想いはどこまでも決定不可能性の内に留まりつづけているのです。

*1:シーン名のひとつが「圧倒的な楽園」であることがいかにも皮肉的です。GENESISを拡大解釈したレトリックではありますけど。
*2:さらにここに、11月2日の美鈴のイベント「女としての幸せを」で分岐するバッドエンディングの存在を傍証に加えてもよいでしょう。
*3:ですから、調停者としての菊理=デミウルゴスのいない世界である(と今のところ考えられる)アニメ版の『11eyes』において、最終的に友人グループは〈駆‐ゆか‐美鈴〉と〈賢久‐雪子〉(ここに彩子を加えてもいいでしょう)のふたつに分裂してしまう、ともいえるわけです。