エンドレスサマー・
終わらない世界

MAKKI

目次

獅子ヶ崎という場

 獅子ヶ崎ではトラブルが耐えない。学園全体を揺るがす事件が次々と発生し、非日常が常態化することでかえって「日常」になっている。……ぶっちゃけ生徒にはいい迷惑にしか思えないが、その背後には「獅子ヶ崎の意思」による子どもたちへの配慮が見え隠れする。

―――手鞠のシナリオの時点では「獅子ヶ崎の意思」について不明のため、バグが原因でトクラウォールができた、という話になっていますが、これは「意思」の仕業なのでしょうか?

椎原:広い意味ではそうです。システム障害のほぼすべてに「意思」は関わっています。学園と「意思」の回路が繋がっている以上、回路が動くだけで多少の影響は出てしまうので。

下原:ただ「意思」がいたずらでトクラウォールを作ったわけではないです。たまたま繋がった影響がああいう形で出ただけだと思ってください。

 普段の生活で獅子ヶ崎学園のシステムが制御できないのはトクラウォールが原因だが、トクラウォールの形成自体は「意思」の意図せざる事態だった。もし仮にシステムの暴走(=「意思」の介入)がなかったならば、獅子ヶ崎はそれこそただの使い物にならない施設群にしかなりえない。一乃ルートでも描かれたように、不完全なシステムに生徒は魅力は感じることはないのだ。生徒たちを「飽きさせない」ためには乗り越えるべき「障害」が必要だった。獅子ヶ崎での目まぐるしい「日常」は、生徒が住まい、受け入れる場としての不完全性を「障害」というイベントメイキングな要素を与えて生徒の自発的行動を促すことで補完するためと言える。

慎一郎という部外者と、獅子ヶ崎学園というコミュニティ

 慎一郎は、非日常的な「日常」に対処していくのを通して「獅子ヶ崎学園」に参入していく。その過程は一見して「外部の人間がトラブル解決を通して獅子ヶ崎に加わっていく」様子を描いているように思えるし、その感じ方に違和感はない。しかし、ここで注意したいのは、慎一郎が参入するのは獅子ヶ崎学園という「生徒たちのコミュニティ」であって、「獅子ヶ崎の意思」に対してではないという点だ。「獅子ヶ崎」というときには1:(曖昧な意味での)獅子ヶ崎学園2:「獅子ヶ崎の意思」という意味があって、その二つは明確に区別できるわけではない。しかし、「獅子ヶ崎学園」と言及する場合、そこには「獅子ヶ崎学園という学園施設」と「獅子ヶ崎学園生のコミュニティ」との二つの意味が明確に区別されている。*1

 獅子ヶ崎トライオンの活動を通して、慎一郎は獅子ヶ崎学園生の一員になっていく。そこでは、慎一郎もトライオンメンバーも同じ立ち位置にいる。が、それと同時に、彼らが獅子ヶ崎そのものへ、「獅子ヶ崎の意思」へと対抗し、それに受け入れられようとする構図が存在する。獅子ヶ崎が生徒の障害として存在することで、そこには「生徒を許容する獅子ヶ崎」という学園本来の役割とは正反対の、「生徒を拒絶し、立ちはだかる獅子ヶ崎」という正反対の側面が生じ、獅子ヶ崎の二面性が顕現するのだ。

 良くも悪くも獅子ヶ崎学園の「他者性」ここでは「他者性」という用語を用いたが、獅子ヶ崎の二面性を考えると、「外部性」(←→「内部性」)、「父性」(←→「母性」)、いくらでも言い換えはできる。*2が強調されることで、同時に獅子ヶ崎学園生の他者性も浮き彫りになる。その歪みは各ヒロインルートの違い、特に夏海と他の三人の間にある明確な違いに反映されている。

「ヒロインの物語」とその例外

 美少女ゲームなのだから、すべてのルートで慎一郎と各ヒロイン恋愛を描くのは当たり前だ。しかし、その中でも各々のヒロインにはサブテーマが割り当てられているように思える。鈴姫√や一乃√では、ヒロインが慎一郎を明確に異性として意識した描写が頻繁に見受けられ、その結果、男の子の前でしか現れない「女の子」の側面が明確に描かれている。言うなれば、キャラが消費されることを意識した構成になっていて、その意味では二人が従来の美少女ゲームの文脈に沿ったヒロインであることは間違いない。

 従来の文脈についてもう少し詳しく説明する。ヒロインと主人公のつながりを担保するのは、心と心の繋がり。そしてこころとこころの繋がりは、何もなくして発生するものではない。絆の形成には「イベント」が必要となる。所々の「イベント」に登場人物が対処していく中で主人公がヒロインとの間柄を深めていく。それが美少女ゲームにおける物語のセオリーだ。「ヒロインの救済」の形を取るkey作品がその最たるもので、一番わかりやすい例だろう。

 『てとてトライオン!』の場合を見てみる。獅子ヶ崎の持つ他者性(別の言い方をすれば排他性とでも言えようか)は、そのままヒロインとの絆を作り出す舞台装置の側面を持つ。一乃、鈴姫のケースでは獅子ヶ崎の「障害」→ヒロインとの絆形成(→その過程のヒロインの「萌え」を描く)に直結する。しかし、手鞠や夏海ルートでは話が違う。最初から好感度マックス、ヒロイン側の心理面での大きな変化は起こらない(少なくとも描写上は見受けられない)。

 手鞠の場合は、描かれる関係性が慎一郎-ヒロイン間だけではない第三者、鷹子が介入することで物語に起伏が生まれている[「障害」→手鞠、鷹子間での絆の(再)形成→ヒロインとの絆の再確認]。絆の形成が慎一郎-手鞠間ではなく、鷹子-二人との三者間で行われる点では変則的だが、それでもまだ文脈は保たれていると言っていい。

 しかし、ことが夏海の話になると、夏海と慎一郎の関係性は出会った当初から一切変化していない。仲良くなる過程も存在せず、出会ったときから超近距離の関係から変化することなく恋人へと移行する。良くも悪くも、その点で夏海ルートに違和感を感じたのは自分だけではないはずだ。その違和感を補完する(誤魔化す)ためのpitaシステムである。獅子ヶ崎の意思へのアクセスという設定上の目的以上に、pitaシステムは、夏海と慎一郎の関係性の変遷過程を、心理的な変化(恋人になるまでの過程の心情変化)ではなく物理的に代替する役割の方が重要な意味を持つ。*3

「てとてトライオン!」の世界

 夏海が常にあらゆる問題を楽しもうとする結果、獅子ヶ崎の持つ「障害」としての側面は全く意味をなさない。物語の帰着点が、主人公とヒロインの関係性構築に落ち込まない……有り体に言えば、物語の目的はヒロインと慎一郎がくっつくことではなくなっている。

 他の三人の物語は、「意思」-獅子ヶ崎学園生という対立の中で生じる関係性を描き、そこで描き出されるキャラクターが消費される。それに対し、夏海にとって獅子ヶ崎は自分を包み、受け入れてくれる-さながら遊び場である-以上、夏海ルートでは、その対立軸が存在しない。そこから生まれる物語には、消費されるキャラクターが(描き出される魅力が)いまいち足りない。その結果消費される対象となるのは獅子ヶ崎という世界そのもの、キャラの消費(キャラありき/キャラ萌え)ではなく世界観の消費(物語重視)に至る。前者が「ヒロインの物語」と呼ぶならば、後者はさながら「獅子ヶ崎の物語」とでも言えようか。「ヒロインの物語」は、主人公とヒロインが恋人同士になることで完結する。それはヒロインの幸せが追求されるからだ。しかし、「獅子ヶ崎の物語」は違う。世界観そのものを消費する物語を終わらせるのに夏海ルートだけでは、あくまでヒロインに焦点を当てられた物語だけでは足りないのだ。

 そこで出てくるのが「獅子ヶ崎の声」。「意思」と夏海の巻き起こす(作品中で)最後の「トラブルが物語の終わりの契機となっている」ように見えるが、おそらくそこには裏設定が存在する。「獅子ヶ崎の意思」は、地下の地層に落雷等のエネルギーが流れることで巨大な電子回路、巨大な脳が目覚めることで出現する。つまり、「意思」が活性化するのは特に嵐の季節であり、多分に季節性の現象だということになる。夏が終われば「意思」も一時的な眠りに就く。……つまり、実際の所、物語が終わるのは「トラブル」の問題ではなく「設定」の問題と言える(たとえば、夏海との親密さは最初から存在する「設定」である)。世界観の消費とは、まさに設定レベルの消費、雰囲気そのものをプレイヤーに楽しませる物語なのだ。

 もりやんさんはラジオ中で夏海の印象を「エンドレス・サマー」と言及していた。イベントの一過性に対して、世界観そのものが存在を裏打ちする夏海にはその未来の普遍性、たしからしい幸せなイメージであふれている。

 どこまでも続くような楽しい「日常」を示唆させるような、夏海ルートの最後。

 そして、「獅子ヶ崎の声」での、一時的な「意思」の眠り、来年への期待。その先に示唆されるのは、いずれ再びやってくる慌ただしい日々。

 「てとてトライオン!」は最後の最後でゴールにたどり着く。物語の収束点に達した瞬間、終わらない夏は作品全体を包み込む。

注釈

*1:「獅子ヶ崎」というときには1:(曖昧な意味での)獅子ヶ崎学園2:「獅子ヶ崎の意思」という意味があって、その二つは明確に区別できるわけではない。しかし、「獅子ヶ崎学園」と言及する場合、そこには「獅子ヶ崎学園という学園施設」と「獅子ヶ崎学園生のコミュニティ」との二つの意味が明確に区別されている。
*2:ここでは「他者性」という用語を用いたが、獅子ヶ崎の二面性を考えると、「外部性」(←→「内部性」)、「父性」(←→「母性」)、いくらでも言い換えはできる。
*3:その違和感を補完する(誤魔化す)ためのpitaシステムである。獅子ヶ崎の意思へのアクセスという設定上の目的以上に、pitaシステムは、夏海と慎一郎の関係性の変遷過程を、心理的な変化(恋人になるまでの過程の心情変化)ではなく物理的に代替する役割の方が重要な意味を持つ。