獅子ヶ崎がみてる
〜シシみて〜

ルゥシィ

目次

第一章 てとてつないで、わぁいおっぱい!〜乳たちの用意した楽園〜

 結論から言えば、『てとてトライオン!』のメインテーマは「幸せに実体を持たせること」です。これは考察するのも野暮なほど明確、というか語り過ぎと言っていいと思います。
 PULLTOPが作るゲームそのもののテーマが「幸せ」である、とシナリオを担当した椎原・下原両氏が語っております通り、実際の内容にも大きなブレはありません。度重なる困難だったり、恋愛の悩みなどを経て、主人公とヒロインが互いを思いやり、身体と心の距離を近づけるお話です。
 特に、用意されたEDはどれを見ても、ヒロインだけでなく周囲の様々な人間を巻き込んだ、大きな規模の幸せ。個別ルートに於いて、巻き込む形は「みんなの祝福」。

 鈴姫ルートの用意されたライトアップの相合傘然り、
 一乃ルートの学園祭での会長就任然り、
 手鞠ルートの結婚式然り、
 夏海ルートのカササギ橋でのキス然り。

 どれも、衆人環視でのラブ事件。それから、そのどれもがしっかり演出された幸せである、ということも忘れてはいけないかと思います。
 さて、先述の夏海ルートカササギ橋のシーンでは、トライオンで浮上させた橋が、誰の制御ともなくライトアップされます。それもまた演出された幸せの一つなわけですが、祝福しているのは誰か、と言えばそれはPITAシステム研究の発端となった『獅子ヶ崎の声』ではなかろうかと推測されます。
 獅子ヶ崎の声はPITAシステム中枢と深いかかわりを持ち、設定上では相互に影響し合える関係にあります。そして、これは後ほど語りますが、作品中には第三者の意思のような、誰知らぬ、しかし演出された出来事がいくつか存在します。そのうちの多くはPITAシステムがあることを前提に成り立っているものであり、PITAシステムがその演出にかかわっている可能性は非常に高いように思います。
 さて、それならば何故、獅子ヶ崎の声は夏海ルートでカササギ橋を浮上させたのか。
 それは彼女が獅子ヶ崎の声に耳を傾けることが出来る、代々巫女の血筋である織原家の末裔だから?
 そこで結論付けるのはいささか短絡に思うので、もう少しひねくれた考察を加えてみます。
 獅子ヶ崎の声とは一体なんであるか。
 作中ではSF(すこしふしぎ)でデコレーションした土地神様、という括りで扱われ、テキスト通りに言い直せば『獅子ヶ崎という土地が有する意思』であります。
 意思。このゲームにはその意思だけが登場し、本人が全く登場しないキャラがいくつかあります。夏海の祖母にせよ慎一郎の父にせよ手鞠の父にせよ一乃と芹菜のけけけけしからん乳にせよ(最後のは違います)、わが子に対する「愛してるぜ! 楽しんでくれよ」的な、作中での影響力高い愛を見せますが本人は姿を現しません。
 作中に姿の現れない、強い意思。これこそが重要なテーマではないか?
 そうして考えると、トライオンポイントとそれによって復旧される最も大きなものに対する、主題との繋がりが分かるのではないか。

 鈴姫ルートでは、恐らく最も獅子ヶ崎の声から遠のいた、学園すら離れた場所にある遊園地で、トライオンを行い復旧させる。遊園地から思い起こされるのは小さい頃の思い出。
 一乃ルートでは、旧校舎。これは分かりやすく、学校での過去の思い出が浮かび上がります。
 手鞠ルートの中央制御室完全復旧。『中央制御室は獅子ヶ崎の声にアクセスするために作られた施設』とされており、もしかしたら、ここからこのゲームの主題や伏線を明かしていこうとしていたのではないかと思われますが、果たして。
 さて、夏海ルートでは獅子ヶ崎の声を洞窟で聞き、カササギ橋を浮上させます。カササギ橋のカササギは七夕の神話で、織姫と彦星の橋渡しとなった、本作品に於いて縁結びの表象と言えるでしょう。とすれば、夏海が獅子ヶ崎の声により主人公である慎一郎との縁を祝福されたのは間違いないと思われます。

 そして、最終シナリオ『獅子ヶ崎の声』での獅子ヶ崎はそんな夏海ルートに近い物語を送った後の世界です。シナリオ中で主人公が振り返るシーンも夏海ルートのものしか登場しないので、恐らくは間違っていないと思われますが、正確に夏海ルート後というわけではないこともまた推測されます。

 『獅子ヶ崎の声』シナリオにおいて、獅子ヶ崎の声により夏海の身体が使用されるほど、獅子ヶ崎の声と深いキャラクターと設定された夏海は、最も作品テーマに近いヒロインではないか。となると、考察より行動で生きる肉体派ヒロイン、距離感がやたら近い夏海というのは転じて、肉体的な接近を用いて心をつなげ、寄り添うことで幸せになるこのゲームの大きな主題、ではないかと思われます。そして夏海のルートは他ルートに比べ、シナリオに意図された困難を生むための悪意があまりなく、おぼれた慎一郎を夏海が助けたり、非常に肉体的な繋がりを生む、そのためのトラブルになっています。獅子ヶ崎の声は夏海シナリオの中で、洞窟内トライオンでキスをさせ二人の繋がりを強固にしていくいわば、縁結びの役割になっています。
 そして、また、このシナリオでは事実上、この作品に於ける神のような存在であった「獅子ヶ崎の声」が身体を持つことで、幸せを祝福する存在に実体が付属することになります。『獅子ヶ崎の声』では今まで語った、祝福・心を身体でつなぐ幸せ・縁結びのテーマが最前に出てきて主張します。まぁ、この話は言うまでもなく「全校生徒でトライオン」です。トライオンすることで登場した、海中に架かったもう一つのカササギ橋を見た生徒たちは心を一つにして、文字通り神の祝福であるこのお祭り騒ぎを喜ぶというわけですね。ここにきて、二つのカササギ橋は全校生徒をつなぐ架け橋になる、と。
 他のルートでは主人公やヒロインたちを祝福する側だった全校生徒たち、そして獅子ヶ崎の声、この二つが一緒にトライオンを行なう。そこにきてようやく、幸せは線の形から輪の形となり、相互に幸せを与え、この作品内部に於ける「幸せの最大値」が表現されることとなる。この辺りは『幸せの循環』をテーマとしているらしいPULLTOP次作「しろくまベルスターズ♪」にもつながってくるのではないでしょうか。
 さて、先ほど獅子ヶ崎の声や慎一郎の父たちの見えない意思こそテーマではないかと仮定しましたが、獅子ヶ崎の声が実体を持つことでこの仮定は一部ほつれ、しかし、テーマが実体を持つという考え方をするならば、この仮定はとても強固になったと言えます。
 その意味でやはり、最終シナリオ『獅子ヶ崎の声』に於けるテーマの重要性は、全シナリオでも図抜けたものであり、作中で様々な方法を用いて行なった「実体ある幸せ」を求める運動の結実と言えるのではないでしょうか。

 という具合に、主に『獅子ヶ崎の声』に纏わるテーマについて語って参りましたが、やはりいささか野暮な感覚が抜けません。この辺りの話は、「意味が無い」「不要」と判を押されがちな最終シナリオの存在意義を理解する一助になれば良いと思います。
 長くなりましたので、最後に一言だけ使い、テーマについての考察を結びます。

 『「てとてトライオン!」は父たちが子供のために用意し、神に接吻された楽園の、姿ある幸せと祝福の物語』である。

 さて、シナリオに関しての話はまだ続きます。
 このゲームのシナリオ構造は凡庸といって差し支えないと思います。キャラ紹介代わりの騒がしいトラブル、楽しげなイベントの発生する共通ルートがあり、選択肢分岐を経て個別ルートへ向かう。良く言えば王道、悪く言えばありがち。
 そして、この分岐についても、どちらを選べば誰のルートに向かうかほぼ明示された二択が二回、という実に簡素なものです。これはClover Pointの四択一回即分岐の構成のような、煩雑なフラグ管理や整合性の管理を省力化し、個別シナリオに注力し易くするタイプのものだと思われます(悪く言えば手抜き)。ただ、Clover Pointのそれと違うのは、選択を二回に分けて二度選ぶことで、一回の選択よりもその選択肢を選んだ理由付けになっています。二度目の選択肢を選んだときに、一度目の選択肢が「この娘に惹かれていたから選んだ」という意味になるような。
 個人的には紙芝居ゲーが開き直って、遊具性とも言えるゲーム性を捨てることには賛成なので、こういう省力型の分岐管理で、選択肢が辛うじて意味のあるものになってることは素直に面白いですね。
 シナリオ面はそのほとんどが、青春・トラブル・コミカル・どたばたの要素で作られ、学園ものとしては平穏な日常の挟まる余地の少ない、毎日がイベントみたいな内容になっています。ただ、これは振り回されるような楽しい面がありつつも緩急があまり無く、人によっては飽きやすく感じることでしょう。あまりにトラブルとワクワクを多く詰め込んだがために、逆に単調で退屈になりかねない状態になっているのは、皮肉なことだと言えるかも知れません。
 しかし、深く考えずプレイする場合には、常に進行状態なストーリーから勢いを得て進められるようになっているのもまた事実で、長所とも短所とも捉えられるコインの裏表です。
 また、他の欠点としては、シナリオのワンエピソードごとにあるはずのオチが欠落してるように見える箇所が多く感じられ、日常は締まりがないと評価されるような内容でもあります。
 あえてオチをつけないような構成になっているのは、日常をぶつ切りでなくシームレスに見せていこうという姿勢があった、と無理矢理考えられないわけでは無いですが、特段その論旨を固める要素が他にあるわけでもないので、これに関しては単純に欠点として扱ってよいと思います。雑誌のスタッフインタビューでは「バッサリ削った部分がある」というようなことを語っていたので、その影響は多少あるかも知れません。
 ここからはキャラクター、しかしコミュニティ描写がどうこう、というのは触れて上手く扱える気がしないので、その辺は他のレビュアーさんに任せつつ、キャラクターの意味や像について軽い考察を加えてゆきたいと思います。
 この作品に登場するヒロインたちには、そのヒロインとペアとも言うべきキャラが用意されています。夏海にはちさと、手鞠には鷹子、一乃には芹菜、鈴姫には瀬名優と、言わばいつも同行しているキャラなわけですが。最近のエロゲーは意識的にそういう、ヒロインを主人公とはまた別の視点で見守るキャラクターを置いている気がします。主人公の親友キャラが幅を利かせた反動とも言えるものかも知れません。
 ヒロインに対しての親友キャラとも言える彼女たちの役割は、一つの側面から見れば、高機能な賑やかし。ヒロインが登場するときに付属するように彼女も出ることで、画面上、あるいはシナリオの中身に於いても空白のある部分を避けて、ワイワイ感を出すことに成功してるのではないかと。もう一つの側面から言えば、主人公がいないときでも(攻略対象にならなかったときも含む)、彼女たちがナイトとして傍にいることで一定のヒロインにとっての幸せ、ひいてはヒロイン愛を持つプレイヤーにとっての安心感、果ては作品全体で見たときの優しい雰囲気を醸す役割になっています。
 PULLTOPのたけやまさみ原画作品制作ラインが、幼馴染という題材を好むこともこのキャラたちが存在する理由の一端にあるのかも知れません。最初から強い関係を結び合っているキャラは、安心感と同時に主人公のことを認めてヒロインを任せる父親的存在にもなれますし、そういった意図を持ち明確に設定を使うことで、PULLTOP特有の空気というのが生まれるように思います。
 ちなみに言えばこいつらみんな、ツッコミ属性なんだぜ……。ということで、ヒロインを天然&自然体キャラにしたい意図はあったのではないでしょうか。同時にペア同士で漫才出来る仕様にして、ギャグ面などで主人公対ヒロイン勢という直線的なつくりを巧く排除したのではないかと。
 他に、キャラクター面では、周到に不快な存在の形成を避けた部分があると思います。これだけ女性キャラがペアを組んでいれば、当然レズがありそうなものです。実際、どう主要スタッフによる過去作品「お願いお星様」でも主要キャラクターのレズシーンがあったり、その趣向を持ったキャラたちも比較的多かったわけですが、今作のレズ要素は最大で一乃と芹菜の擬似的なそれ、もしくは鷹子の手鞠への好意の部分程度にしか及んでおらず、出来る限り主人公を除外する感覚を抱かせない、そういったキャラ造形をしています。キャラに必要悪を作ることも避けているので、ヒロインたちに起こる問題も精神的ないし内的なもの、もしくは天候や機械的トラブルだったり彼女たちの過去、と人為的にならないものになっています。同メーカー作品「ゆのはな」でもそうでしたが、明確な悪人を出すことで壊れてしまう世界に向けた配慮は、上手く作用しているのではないでしょうか。
 しかし、その弊害で、プレイヤー側から見たときキャラクター同士の関係性に許容された部分ばかり多くなり、同じ輪の中にほとんどの登場人物が入ってしまう。それにより、キャラクター達の持つ主張がその牙を抜かれていたり、客観的な強度を持っていないように感じます。
 とは言え、その「同じ輪の中にみんながいる」状態というのも、『獅子ヶ崎の声』では主題の一つになりますので、最初からキャラ個人の個性に関する強度面でのリスクを負って意図されたものだと考えていいでしょう。

 『騒がしく、悪意や強い主張のない、同士の輪。その中心に座るべく主人公を配置する』というのが全体的に見たキャラクター設定の大まかな意図ではないでしょうか。

第二章 高度に発達した紙芝居は、しかしアニメと見分けのつくエロゲー

 さて、話は変わりまして一つ質問をいたしますが、読者の方ならば、演出が特に進化したエロゲと言えば一体どういったものが思い浮かぶでしょうか。それはage諸作であったり、minori、Purple Sotfwareの作品などなど、昨年の「天ツ風」なども浮かぶかも知れません。どれも紙芝居の演出面ではかなり動画的であり、先端。立ち絵や背景のズーム、スクロール、部分的なアニメーション、場面転換の技法もフェイドアウトだけでなく、多様になりつつあります。立ち絵の種類の豊富さも演出に絡んでくるかもしれません。天ツ風などはわざわざ画面上でアクションさせる目的を持って、普通の立ち絵とは全く違うポーズを多く含み作られた立ち絵(もはや立ち絵と言わないかも知れません)が使われ、非常に印象的でした。そういう意味ではぱれっとに於けるくすくす氏原画作品の後ろ向き立ち絵なども、優秀な演出のための装置と言えそうです。こういった視覚面だけでなく、ageは積極的にボイスのステレオ化をエンジンに組み込んだり、また音の位相差や背面効果などを取り込むことで擬似立体音像を形成したり、果ては5.1chサラウンドに対応させたりと、映画を意識したような演出を可能にしており、高度な演出能力を持つメーカーは映画的手法を特に好んで持ち込んでいるように感じます。
 この「てとてトライオン!」も演出面において優れたゲームのひとつです。技術的にも立ち絵遣いで奥行きを表現したり、背景にアニメーションを使用する部分もあったり、背景のスクロールやズーム、それにメッセージウインドウや背景の振動も積極的に使っており、かなり動きのある紙芝居に仕立て上げられています。
 しかし、最も評価するべき部分はその動きよりも、一見不必要な演出を挿む、間の演出という部分にあるのではないかと思われます。
 たとえば、何度も使われる主人公の寮での起床時演出。空背景から下方に向けたクロスフェード的画面転換の後、寮背景に転換、寮内背景に変わり手鞠がベルを鳴らすSDカットインが挿入され、それから主人公の部屋にようやく移ります。この間全くテキストは使用されず、シナリオは全く進まない。それゆえ、雰囲気作り以外の効果に乏しい演出なのですが、こういった演出はかなり多用されます。テキストを全く挟まず、演出だけで時間を進めていく。この演出は下手をすればウザいと言うか、テンポを悪くする要素の一つになりがちですが、このゲームでは自然に馴染んでいて、心地よい間を作るのに一役買っています。
 この技法に関して言えば、単純な技術力で勝負すると言うよりは、アイデアとアナログ的な地道としか言えない作業によるもので、最先端というには疑問がありますが、独自性と優秀さを備えた演出であるとは思います。
 目パチ口パク(瞬きと会話中の口の動き)演出のように、丁寧に作られつつもあまり高い評価を上げられない視覚演出が多く存在し、丁寧さよりも目に付く斬新さで評価される演出が多い中、間に特化したものは丁寧さを持った演出の代表であり、こういったつくり方がもっと広がるのは多少なり有益だと思います。
 視覚演出に於いて、主人公の目の動きと重なるように作られた部分と、神の視点的になったような主人公視点を外れた演出が混ざり合っていますが、これも特に明確な意図は存在しないもの。アニメの1カットのようにしたい部分を挟みつつ、基本的には主人公視点のADVというフォーマットに則っています。
 そういった面で当然、視覚は映画よりアニメや漫画的な演出を意識していると言え、動的なパートで効果線を使用するのがよく目につきます。こういった演出の効果で、意図的に画面上を常にある程度騒がしくしているようで、その辺りはヒロインにペアキャラを設定した理由とも重なってきますね。
 この背景や場面転換の緩急と動きの多い視覚演出によって、間を詰めることも広げることもしっかり行えており、この作品の特長と言えると思います。ただ、時折使われる矢印で位置を示す演出は無くても良かったと感じます。
 またこのゲームも聴覚的な面でボイスのステレオ化が行われ、必要程度のボイスエフェクトも為されており、聴覚演出でも及第点以上のものには達してると思います。
 「ごきげんくるっくー!」放送のような、ディスプレイの中にディスプレイがあるメタな演出もありますが、これはあまり深い意味はなさそうですね。もしかしたら効果線や動きの多い演出あるこのゲームをアニメ的に捉えようとする意図があるのかも知れません。 システム面は音声個別設定などが欲しかったところです。おおむね良好ではあるものの、まだ足りない部分はあると思います。
 ボイス面では必ずしも萌えを意識した声ではなく、キャラの個性を出すために声を作ってる感じで、その辺は「俺たちに翼はない」にも通用する部分がありますね。かなり無理に作ってるように感じる声もあり、キャラボイスについての評価は一長一短。
 聴覚面ではSEやBGMも少し語っておきますが、BGMというのは聞いてて心地いい音楽であれば好ましいが、ボイスの周波数帯域に思いっきりかぶるような中高域メロメロなBGMを使用すると邪魔になりがちです。その点で、きちんとボイス再生の邪魔にならないよう、意識されたものになってるので、比較的優秀な部類に入ると思います。キャラクターごとのアイキャッチのジングルも用意されていて、その辺の丁寧さは評価されるものだと思います。
 SEもまた多く使用されています。SEキャラがボケたりつっこむごとにSEが鳴ったり、画面演出が入るときにはほぼ確実にSEが入ります。エロゲーというのがSEによってリズムを作られる面はあり、パーカッシブなドン・カン・ドカンとなるSEが入り、テンポを保つ上で上手く働いていると思います。
 総じて、現実性を追求した演出したというよりは、フィクションらしい、アニメ的なものへの意識が強い演出であり、それが生み出す楽しい雰囲気もまた「てとてトライオン!」の裏のテーマと言えるのではないでしょうか。
 演出の主題は「自然な緩急とアニメーション的な騒がしさから感じられる、無駄な空白を感じさせない、場の雰囲気形成」に尽きるのでしょうが、それが高い効力を発揮していると同時に、シナリオ面がもう少し追いつけば、もっとPULLTOP独自の演出として完成形に近づけたのではないかと思うと、惜しい部分も感じてしまいます。
 エンジンとの兼ね合い、そして細かな調整が必要になる演出は、やはり全体の調和が求められますので、演出のみを抜き出して語るのは幾らか難しいでしょう。今回行うにはいささか手に余る部分なので、この演出と全体の兼ね合いについてはいずれどこかで考察していけたらと思います。

 「『自然な緩急とアニメーション的な騒がしさから感じられる、無駄な空白を感じさせない、場の雰囲気形成』を意識した演出がシナリオや主題と一定以上の噛み合いを見せるが、少しながらシナリオ・演出間の意識のずれがまだ存在し、それにより演出意図が独自の主張を持つには至っていない。」という言葉で、演出面については締めておきます。

第三章 肉感絵師たけやまさみと愉快ないくたたかのん絵たち

 冒頭でこのゲームの主題を、「実体ある幸せ」と呼んでみましたが、それは即ち、肉体的な、触れ合うこと、重ね合うことで感じるもの、つまり肉体的なものと言い換えられるわけですが、そんな肉体的青春絵巻を、肉感的で健康美がある絵とも評される絵師たけやまさみが書くのはとても相性の良い組み合わせだったんじゃないかと思います。
 実際、絵の躍動感も(もっと躍動感が求められたであろう)前作「PRINCESS WALTZ」よりも高く感じ、主に構図面で大きな進化があったように見受けます。アニメナイズされたエロゲと言う印象を抱かせる上で、極端に萌え絵化してない、割と自然な体形を整えた(スリーサイズ面は上にも下にも比較的大人しい数値に収まっている)原画は、完成度が高く、また、表情も豊かで、立ち絵、一枚絵ともにキャラクターの感情が伝わりやすいものになっております。
 しかしながら、エロゲーとしてはいささか癖のある絵というのもまた事実であり、この絵を気に入るかどうかは、このエロゲーを評価する上で重要になってくると思います。
 さて、個性的な原画に対し、SD絵も割と個性のあるものになっております。数も多く、差分無しの計算で30枚も用意され、コメディー性を余すとこなく伝えている印象。原画二人の相性は良いと思いますが、やはり癖の強い絵なので食傷気味になりやすいとは思います。その点で、絵の面での緩急はあまりついてなかったように感じます。
 背景画に関してはある程度積極的に使用出来るような、設定をちゃんと踏まえた発注がされており、雰囲気を壊さないようにしっかり作られてます。
 CG塗りの品質もメーカー前作「遥かに仰ぎ、麗しの」同様、かなり高いレベルにあるため、絵を楽しみにプレイ出来る内容ではあると思います。
 今作は全体的に目に付きやすい色遣いと、ハレーションしたような明るいトーンで描かれており、夏の情景への意識をビジュアル面全体で上手く表せています。そのため、テキストに無駄な描写を割く必要がなくなっているので、役割以上の働きを持った絵と言えます。ともあれ個人的に最も評価しているのがこの原画・塗りの面で、イベントCG枚数が少ないことは惜しいものの、イベント面やエロシーンに於けるアクロバティック気味の構図など、枚数のマイナスを打ち消す以上のインパクトがあると思います。
 きちんとエロい絵でありながら、普段は健全な雰囲気を違和感無く纏っているというバランス感覚は、有名絵師で他にべっかんこう氏の絵などがそれを持っていると感じますが、そう多く見られる要素ではないと思います。少し萌え絵的な文脈から離れつつ、しかしエロゲとして違和感ないように描けるバランス感を含め、総合的に高いバランス感覚で描かれた絵だと思いました。

第四章 まとめ

 シナリオ面ではある意味青春とトラブルばかりの日常特化で、特段深いテーマも無ければ、考証のしっかりした内容というわけでもなく、一本調子な面があるのは否定できませんが、逆にここまで青臭い話というのも昨今なかなか見かけないあたり、その部分を気に入ることで、評価が名作に変わる部分はあると思われます。
 無邪気でとても前向きの力に溢れているように見えて、その水面下ではとても無邪気さを狙っているように思います。あくまで演出された無邪気さとして描かれたそれらのお話は、大人視点で無邪気な子供を見る様子にも似て、喜びと憧憬と切なさを心のどっかに置いていってしまうのです。
 演出なども含め、意識的に「楽しさ」を生むような作りが随所に施されており、それが上手くリーダビリティにはたらいた結果、このゲームを牽引する力になったんではないでしょうか。
 個性は強いものの主張は弱い。それを心地よいと思うかはプレイヤー次第ではありますが、全体的な完成度は特筆して高いものだと感じました。
 さまざまな面で「根拠は薄弱、理由は後付け。だけど、俺には?」といった状態ではありますが、以上で「てとてトライオン!」のレビューを締めさせていただこうと思います

『まだ勘違いのままかも知れないけど、そんなの後からでいいだろ
 本当かどうか確かめるのはこれからでいいだろ!!』(鈴姫ルートより抜粋)

俺たちの戦いはこれからだ! 「てとてトライオン!」レビュー 第一部 完。