シュガスパ・メシマズ論

八柾山崎

シュガスパ・メシマズ論

世に数々のエロゲーありて、なぜ「ヒロインのメシがマズい」イベントはそろいもそろってつまらないのか。言ってしまえばそもそもアニメや漫画で定番となっているように料理が黒焦げになったり台所が爆発したり食べた人が噴き出したりするような客観視点の絵面で受け手を笑わせるものをADVにおいて主人公の一人称で叙述する時点でどうしようもなく困難性が立ちはだかってくるわけだが、あえてここではそのことに目をつぶって考えてみたい。
さて早速だが原因は二つ挙げられる。メシマズイベントがその歴史的発展のうちに余人の共感を拒む描写へと奇形化したこと、またイベント自体がお約束化してしまったことによって本来の目的を忘れ去り迷走していることだ。
そもそもエロゲーにおいてメシマズイベントとは元来なにを意図していたのか。それらはギャグの役割を兼ねつつも第一には当該ヒロインの(ときに意外な一面とされる)不器用さ=かわいらしさの描写であり、さらには修行による腕前の上達の経過を追うことで彼女の主人公に対する愛情を強調することを目的としている(*1)。不器用な女の子がこんなにがんばっているのは彼においしいご飯を食べさせてあげたいからです。実に枯れて手堅いイベントだろう。
しかしあらゆる概念は当初の趣旨を忘れ去られ際限なくインフレしていく宿命から逃れえない。メシマズイベントもまた例外ではなかった。ヒロインの魅力を適切に描くという本来の目的を忘却しただ機械的に形式をなぞるだけとなったそれは(ヤンデレがそうであったように)惰性的に先鋭化していき結果として彼女らの料理の腕前は非人間的と表現したくなるほどに劣化の一途を辿り、また同時に主人公のメシマズ感覚も到底共感できない、笑えすらしないものへと洗練を遂げていった。当然である。「メシのマズさ」を追求していったときそれは文字通りいまだかつて誰も味わったことのない感覚、体験したことのない境地となる――メシマズイベントにおいてしばしば「なんとも言いがたい」「人知を超えた」などの表現が用いられるのはこのためだ――わけだが、そもそもそのような「料理」の食感をいったい誰が想像できようか? それでなくても五感の中で際立って言語化の難しい味覚と嗅覚をさらに読み手にとって未知のものとして形容すれば誰も「わからない」ものとなるのは単に論理上当然の帰結である(*2)。であるからこそこれらの「料理」はしばしば極めて醜悪な外見をイベントCGに晒すのだがもちろんそれだけでは共感に足りるはずもなく、なぜならADVではアニメーションのようにマズいメシを口から派手に吹き出して食卓大混乱、という見た目の面白さで締めることが難しいからだ。そしてこのような毒物を主人公に食べさせるためにはヒロインが自ら前もって味見することだけはなんとしても避けなければならない――まともな神経の持ち主ならば愛する主人公に毒物を食べさせようなどと思うはずもない。かくしてときに見た目からして劇物指定としか思えないような「料理」を疑問に思うことなく味見もせずに食卓に饗するヒロインが誕生し、プレイヤーはメシマズ主人公の苦悶に共感できず醒めてしまう。好意を前提にこのような所業をとれるのは主人公を常日頃から奴隷扱いする強気娘かあるいは尋常でなく浮世離れした天然系お嬢様でしかありえない。もちろんどちらの属性も(とくに前者は精神的なそれも含む)「不器用さ」と極めて相性がよく、ゆえにこのもはや悪習と呼ぶに相応しいお約束イベントはいまだエロゲーから追放されずにいる。


さて、以上に述べたような立場に拠って『Sugar+Spice!』のメシマズイベントを評価したとき、それは基本的に穏当ではあるが同時にやや珍しいものであると言うことができる。本作でメシマズキャラを担当しているのはジジこと南条時夢路であり、当該イベント「夢路のお弁当」(イベント番号138)は作中の5月に発生するのだが、ここで注目したいのはまず第一に、弁当の外見が極めてよく整っていること、そして第二に、そのマズさが人知を超えておらず、再現可能なレベルに留まっていることだ。このうち後者については、本作のシナリオライターを務めた森崎亮人が実際にブログで言及している。

あと、最近シュガスパをやった友人やら知り合いに
「夢路の料理ってなんであんなにクソまずいの? 作れるの」
なんて聞かれたんですが――作れます。

簡単に言うと、独創性(ここはこうしたほうが良い)と、手元の調味料を“確認しないで入れる”のでそうなります。例えば、和真が初手で食らった「玉子焼き」ですが、あれは砂糖の変わりに間違って重曹をぶちこんだりとかなんとか――しかも本来とは違うタイミングで。その結果、しゅわしゅわして、口の中の水分をもっていきつつえぐい味の玉子焼きになったりするのです。……他にも色々は入ってるけどな、八角とか。
南条寺家の台所の調味料にはラベルが張ってないというのも原因ではありますなー。

そんな訳で100%普通の食材で作れます。
……いや、作ればいいってものじゃないけどさ。

ひ、ひげー(あと、夢路の料理の話) - 森崎の棲家・日記

もちろん、この場面の演出がどう頑張っても寒々しいものとなってしまっている――『一休さん』でもあるまいに木魚と鈴を鳴らされてもただただ白けるばかりだ――ことは否定できないが、和真の味覚がまだしも想像可能な次元に留まっているだけでも、他作品に比べれば余程ましではある。
またさらに注目すべきなのは、「結局のところ最後まで夢路の料理の腕はそこまで上達しない」、「にもかかわらず和真はそれを平気で食べるようになる」ということだ。個別ルート突入後の11月のイベントでは、母親から料理を習った後の彼女の弁当が教室で披露される。

和真「ただし、夢路。これだけは言っておくと――決してうまくはないぞ」
俺は、正直にそう言う。
夢路「え、えっと……やっぱり、そう?」
なんていう向こう、二人が玄妙な顔つきで、口に入れたものをもぐもぐしてる。
分かる。前みたいに口の中で拒絶はしないけれど、呑みこむにはやっぱりけっこうモグモグしないと喉が受けいれてくれない。

(イベント番号403「夢路の気持ちがつまったお弁当」)

和真の言明と、同席して弁当に箸を伸ばした歌と藍衣の反応からも伺えるように、ここでは夢路の弁当の出来栄えは確かに向上してはいるものの、決して一般的な味覚では誉められるような、「うまい」とまで言えるようなものではないことがわかる。
――そして、「うまくはない」にもかかわらず、和真はまるで無理している様子もなく、心から嬉しそうに弁当を頬張り完食するのである。5月の弁当イベントにおける完食が、文字通り「危険物処理」、および夢路を傷つけまいという配慮から無理押しで遂行されたことを思い浮かべると大違いである。

夢路「……えっと、ごめんなさい」
和真「ん? なんであやまるんだ」
俺はそう答えて、再び夢路の作ってくれたお弁当を食べ始める。
夢路「でも、だって……
   あんまり、おいしくないって」
和真「ああ、うまいとはいえないけど、夢路が俺のために作ってきてくれた弁当だろ?」
米は塩味がきついし、ピーマンは生っぽかったり、モノによっては酷く脂っこかったり。
けれど、前のステキ重箱に比べて今回のは「普通においしくない」レベルまできている。
夢路「でも、無理して食べなくてもいいわよ」
和真「無理なんかじゃないって、ほんとに」
俺はよどみなく箸を動かす。
その様子をなぜか三人は黙って見ていて。
和真「ごちそうさまでした」
綺麗に食べ終えて箸を置いた。

(同上)

なぜ和真はこのような態度をとることができるのか。その答えを探る手がかりを藍衣の感想から読み取ることができる。

和真「うん、夢路。前に比べてすごい進歩してる。この調子で頑張れ」
俺はそう思ったんでそう言っただけなのに。
――なぜか三人はこっちを黙って見ていたままで。
和真「な、なんだよ。おまえらも早く飯食えよ」
歌 「え、えっと……そうなんだけど」
藍衣「……愛が人を変える、というのは双方向か。ごちそうさま」
なんて二人は感心したような呆れたような顔をして飯を食いはじめた。

(同上)

つまり和真は「愛」――夢路との恋愛によってこのような状態に変わっているといえる。そしてなおかつ、「双方向」といわれているようにこの変化は夢路にも齎されている。彼女は前回の弁当イベントの惨劇から半年を経て、和真と恋人になり彼のために料理を習い、ようやくここまで上達することに成功したのである。和真が「決してうまくはない」弁当にそれでも「よどみなく箸を動かす」のは第一にそのことが嬉しいからだ(*3)。
また、さらにここでは、二人のこのような内面と関係性の変化、そしてそれによる成果と同時に、そのやり取りは恋人のふたり以外からは距離のあるものとして描かれていることにも気づけるだろう。

夢路「その、もっとがんばるから……また、お弁当作ってきたら、食べてくれる?」
和真「もちろん」
当たり前だ、と俺は答えた。
夢路「……良かった」
そうはにかむ夢路の向こう。
なんだか二人が感心したような顔をしていた。
(同上)

まとめると、個別ルート11月の当該イベントでは、恋愛によって変化し、静かに余人を割り込ませなくなった和真と夢路の内面と関係性が、共通ルート5月の同種イベントとの比較によって強調されていると言うことができる。
もちろん、単にヒロインが主人公のことを想って料理の腕を上げていくというエピソードなら、他にいくらでも例はあるだろう。しかし、「料理が最後までそこまで美味しくはならないのに、主人公は喜んで食べる」という描き方は、メシマズイベントの派生としては珍しいのではないだろうか。管見の限りでは前例は皆無のように思われる。しかもこの変化は、ADVの一人称によって語り出されるからこそ生きている。本作の(とくに二つめの)弁当イベントは、主人公のモノローグとセリフ、そしてヒロインの立ち絵差分によって食事風景を叙述することによって、はじめに述べたようなアニメや漫画における視覚のインパクトを持ちえない代わりに、他の友人たちとの間には成立しない恋人同士の関係性、その歓びをていねいに描き出している。
このように、エロゲーとしてはやや変わった構図で主人公カップルの愛情を叙述しようとした試みとして、本作の弁当イベントは一定の成功を収めているといえるだろう。

*1 あるいはエロゲーのメシマズイベントがこのような形をとるようになった背景に、はじめに述べたような「ADVの一人称においてマズいメシで笑いをとることの困難性」を想定することができるかもしれない。おそらくはアニメや漫画から輸入されたこのイベントは、メディアの特質による制限に直面する中で、単なるギャグ狙いからヒロインの魅力や恋愛による変化・成長を描き出すための手段としてその性質を変じていったとも考えられる(もちろんアニメや漫画のそれがヒロインの魅力を強調することを目的としていない、という意味ではない)。
*2 だからこそ料理漫画はゲストたちによる味の感想をこそ、視覚的演出のみならずセリフによっても言を尽くしてこれでもかというくらいにしつこく語らせるのである。そうしなければ「美味しい料理」なるものもまた読み手を説得することができないからだ。
*3 両イベントの差異はマップ上のイベントアイコンにも見て取ることができる。5月のイベントは「色とりどりの料理が詰まった重箱」の絵柄となっているが、11月のイベントでは「箸がついて空になった重箱」の絵柄が用いられている。両者は明らかに対照関係にあり、ここで後者のイベントにおける弁当はきっちり完食できる比較的良質なものであると、前者との差異によって呈示されているといえる(もちろん5月のイベントでも弁当は完食されているが、和真の心境に着目したときに、嬉しい心持ちで食べきったのはもちろん後者である)。