「ましろ色」な
「シンフォニー」

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ましろ色シンフォニーという作品について、タイトルである「ましろ色」と「シンフォニー」という視点から語ってみようと思います。
この作品は複数ライターであり全体としてあまり統一感が見られないので、作品のメインライターである保住圭さんのルートである愛理とアンジェに視点を絞って語りますので、そのつもりで読んでください。


まず、ましろ色の確認から。
ゲーム開始直後に、女の子と男の子はなに色かということが問われます。
そのときに、

そんな二人が出会ったらーーその間はいったい何色なんだろう。
きっと、うん。
まだまっしろ。
設えられたキャンバスのように。
”これから”の色をしてる。
だからきっとーー恋の色は、しろいいろ。
二人の色で染めてゆける、
無垢で、純真なしろいいろ。

と言われるんですよね。つまり、ましろ色というのは、一人では出すことができない、二人が出会って初めて表れる、”これから”の色ということになります。


まず、アンジェシナリオについて。アンジェシナリオでは、二つや二人で一つの形であるということがしばしば語られるように思います。メイドでアンジェや旦那様で恋人、最後に語られる雪だるまやそれを二人で作るということなど。これは、シンフォニーの解釈ではないかと思うのです。
まずメイドでアンジェから。アンジェは、自分自身とメイドというものを切り分けられないという問題を抱えていました。ヘッドドレスを取ることができないということはその一端なのですが、メイドという位置付けが、それ以外の私的な領域にまで侵食している。そこが歪みと呼ばれています。
ですが、シナリオとしては、この二つで一つということは否定されないんですよね。そこで出てくるデメリットに関しては、二人でひとつという方向でフォローされている。
新吾は、アンジェがメイドのままでやっていけるような環境を作るために努力します。アンジェ個人への負荷を減らして、学園側の組織の再構成を行う。そして、最終的にアンジェを楽にするために「組織改善委員会」を作った上で自分も入ります。そのことにより、メイドとして学園で働くアンジェと、旦那様に対する恋人のアンジェという分離を、自分の手伝いをするという形で一括化していました。アンジェという子を的確にフォローできる新吾くんがいて、二人がいることが一つのまとまった形となっています。蘭華さんがいう、『もう半分』を得たような形として。


また、ラストでは、このシナリオでましろ色を表している雪だるまというモチーフで、呪いとして捉えられていたメイドについても祝福として捉えなおしています。

アンジェ「……転がっていく中で、降り積もったものすべてでより大きく丸い綺麗な球になっていくんです……」
新吾「……俺たちみたいに?」
アンジェ「はい……旦那様とアンジェみたいに」
過ごした時間と、体験したすべてで、俺たちは大きくなっていき、やがて球になる。
ーー確かに、素敵だ。
呪いのようだと思っていたことを、
祝福だったんだと、笑えるくらいに。

つまり、仮に呪いであったとしても、それは最終的な綺麗な雪だるまの一部になりうるということです。普通呪いと言えば、否定されるべき概念である。でも、ここでは必ずしもそうではないと言われています。呪いのようであっても、メイドたろうと頑張ってきたその過程込みで最終的な綺麗な形となる。
そして、そのことこそが、二人で一つ、あるいはもっと大きなシンフォニーへつながる訳です。
アンジェシナリオでは、アンジェからのお礼としてのケーキ作りが、新吾とアンジェを祝うケーキ作りになったり、アンジェに憧れてきた女の子から将来的にメイド部へつながったりしますよね。
つまり、アンジェシナリオにおける雪だるまや二つ、二人で一つは、そこからより大きなシンフォニーへとつながっていく。
アンジェシナリオは、こんな素敵な形でましろ色シンフォニーが描かれているのではないかと思います。


次にメインヒロインである愛理シナリオについて。
愛理シナリオにおけるましろ色は「変わること」です。行く先にある誰もまだ足跡を残していないような新雪の色。
彼女は変わるのが恐いと言っていました。だからこそ、変わらないように人一倍努力していた。学年首位ということだって安定を求めてのことです。一番まで行ってしまえば変わらずにいられる。
愛理が蘭華さんに勉強頑張ってと言われた際に、

愛理「あたしは言ったわ、ゆるまないってっ……」

と言いますよね。このゆるまないというのが正に変わらないことで。変わらないために、張り詰めるくらいまで頑張ってしまうのが愛理という人でした。
そして、主人公である新吾は変わることが恐いという訳ではないけれど、それに近い性質を持っています。彼の「空気を読む」という性質は彼自身の無理によって成り立っている部分があります。
桜乃に削りすぎの鉛筆のように折れてしまいそうと言われるように、愛理に合わせて自分を押さえ込んでいる所も見られました。また、空気を読むということについては、隼太に言われるように一歩引くから周りが見えているという部分もある。
自分のルールを破ることができないというのは、ある種変わらないということにもなります。そして、誰に対しても一歩引くということは、誰に対しても近づくことが出来ない。
一人では彼らはそこから動くことが出来ない。このシナリオの上手いところは、相互に影響を与え合うことにより彼らが「変わりたい」と思うことだと思うのです。一人だと彼らは、変わらないやり方で頑張っちゃうじゃないですか。
相手に対する欲求がある、愛理だったら新吾みたいになりたいということであるし、新吾だったら愛理を抱きしめたいという形で。そういう思いがあるからこそ、「変わりたい」と思う。


その、相互性があってこそだと思うのです。一人ではシンフォニーにはならないですよね。
「もう半分」と言っていたのは蘭華さんですが、彼女は変わった愛理を見て、

蘭華「液体なんだわ」
蘭華「固体だと思ってたけど……そうじゃないのね。
『はんぶん』と『はんぶん』は……」

と言います。
蘭華さんが愛理と離れていた理由は、愛理のことを尊重していたからです。愛理が家から出て行くことに関しても、あの子がそう言うならと言って。
ただし、彼女のその捉え方は、お互いに変わらないということだと思います。つまり、固体としての形が合わなければ上手くやっていくことが出来ない。どちらか、あるいは両方が、相手に合わせて変わっていくということは想定されない。だから、今合わない二人は離れて暮らすしかないと思ったのではないかと。だから、今まで一緒に暮らすことが出来なかった。でも、愛理は

愛理「あたしに欠けてる部分を、新吾が埋めてくれた。
新吾に欠けてる部分を、あたし、埋められたの」
ーーそう、一緒に変わっていける。
俺だけでも愛理だけでもない、『二人』の形に。

と言うんですよね。笑って待ってられると言う。蘭華さんが自分に影響を与えたのだと言った上で。愛理は新吾のみではなく、蘭華の影響、変わっていくということを受け入れています。ここでは、新吾と愛理の関係だけではなく、愛理と蘭華に関するましろ色も描かれているんですよね。


そしてラスト。最後に愛理は、雪に足跡を付けていくのが楽しいと言います。変わるのが怖いと言っていたのに。相手がいるから変わっていける、そんな二人の色は何色か。
それが、誰も踏み入れていない雪の色で。二人だから、そんなまっしろに、足跡を残して歩いていく。変えていける。



ましろ色シンフォニーというタイトル、モチーフに対しての描き方は、アンジェ、愛理では少し違いますが、そのモチーフに関する描き方は非常に丁寧だったと思います。非常に良いタイトル、作品だったのではないかというのが感想ですね。