天元突破
Dies irae

勝山ペケ

本文

端的に言ってしまって、ボクはこの物語は月姫やFateにおいて書かれなかった「魔法」をめぐる物語だと思っている。
Fateにおける「魔法」とはつまり「全て遠き理想郷」である。人間がそこを夢見ながら、絶対にたどり着くことの出来ない場所。どれほど焦がれながらも、凡人には到達しえない領域。それが奈須きのこの世界における「魔法」である。
用語集的にいえば

魔法に辿り着くと言う事はどうやら根源に辿り着くという事と同義であるらしく、そしてそこに辿り着ける者は魂がそこに繋がったまま生まれてきた者達だけであり、必ずしも優れた魔術師が魔法へと辿り着けるとは限らない。

であり、Dies iraeの中の言葉を借りるなら、

「生まれ」というものは人を縛る。たとえどれだけの善行、悪行、愚行を積もうと、そう生まれただけの天然に誰も勝てない。
ChapterT 砂浜にてメルクリウス

となるだろう。

志貴や士郎はそこにたどりつけなかった人たちだとボクは思っていて、それについては昔ここに書いた。Dies iraeで言うなら筆頭は蓮であり、それに惹かれるルサルカもその系統に属するように思える。
長々と前置きをしたところで本編の話に入りたい。
既知感というのは一面で、「これまでも、これからも、ずっと同じ日々が続いていく気がする。」という今でもよくみる想像力の拡張である。この想像力がどうやって形成されるか説明するのは骨なので割愛するが、簡単に言ってしまえば、人類はボクたちが生きてるような世界を夢見て、1世紀半以上がんばってきたということだと思う。「これがあなたの望んだ世界。そのものよ」ということだ。
にも関わらず、ボクたちは現実に満足せず、エロゲをやってるわけで、満ちぬ渇望を抱えている。この渇望が実を結ぶことがありえないというのがFateなら、実を結ばせてみせるというのがDies iraeである。
しかし、結果だけ見るなら、この物語は複雑骨折していると言わざるがえない。「日常」を象徴する香純とのEDを事実上バッドエンドにしながら、マリィルートの蓮は「流出」は真っ当な世界を開けない出来損ないである。その上、マリィは何考えてるのかプレイヤーには不透明なまま、新しい世界を開いてしまう。
もちろん、獣殿によるマリィの略奪は、主従めいた二人の関係を再構築するためのイベントだ。*1その結果として、マリィは感情を知ることによって、自らの渇望を認め求道を覇道へと転じさせる。蓮もまた自らの渇望の歪みを知り、マリィへと世界を託す道を見つけることになる。ここには確かに、両者の相互交渉における重要な何かが書かれているが、惜しいことに説明が足りていない。
この説明不足は結局、ライターは自らの既知感を乗り越えた先にある、新しい世界のビジョンを最後まで抱けなかったことに起因していると思う。それを補う形で導入されたのが螢と先輩ルートだ。
この二つのルートを最も象徴的に表しているのは、螢ルートにおける蛍vs獣殿である。この試合は、全くと言っていいほど勝負にならないわけだが、螢は負けない。何故負けないかといえば、心が折れないからだ。一般にこういうのを根性論というだろう。これは先輩ルートにおいて、蓮が絶望に試されながら、諦めないという展開とパラレルになっている。
つまり、ここではもはやビジョンではなく、意志が問題とされている。ボクにはそれが少年漫画的であるように思えた。これは正直なところ悪手である。ADVのようなプレイヤーキャラクターとプレイヤーの感情移入を促進する形式のゲームにあって、シンプルな根性論はプレイヤーとプレイヤーキャラクターの関係性を壊す方へと働いてしまうからだ。
実際でも、物語のラストを締めくくるのは、獣殿とメルクリウスのバトルであり、主人公の蓮はそれに全く関知できないという捻じれが生じている。それを見ているプレイヤーの視点は、もはや完璧に宙に浮いてしまっていると言わざるえない。メルクリウス=プレイヤーのようなメタ解釈を用いても、この状況を整合性をもって解釈することは難しく、少なくともボクにはDies iraeの一部は破綻しているように思える。
二匹の蛇のごとく絡み合った物語の意図は、完璧な調和を描くには至らなかったようだ。だがそれは、天高くを目指した物語の価値の全てを損なうものではないだろう。新しい世界の形を示せないことも含めて、これは極めて現代的な物語だ。「時よ止まれ」と嘯くには十分ではないにしても、Dies iraeは美しいものが宿っていた。そう明言して、この文章を終わりたいと思う。

脚注

*1 再契約と言ってもいいが。